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(回答先: 足裏教に、ボコノン教? 投稿者 ジャック・どんどん 日時 2004 年 12 月 21 日 21:45:58)
ジャック・どんどんさん どうもです。
引用は前後しています。
>おんなじような宗教で『ボコノン教』(カート・ボネガットの小説『猫のゆりかご』
>に出てきます)というのがありましたけど、ボコノン教みたいな宗教やったら、
>入ってもいいかな・・・と。
ご紹介のサイトみました。わははは、そうです「お笑い真理教」こんな感じです、ピッタシですね。
フロイトは「分裂症の治療に宗教が効果がある」という見解に対して「分裂症が集団強迫症になっただけだ」と言っていましたが、だったらどうせ病気になるなら「健康的に病気になる」(スーザン・ソンタグ)。「明るい悩みの相談室」って、らもさんじゃなかったでしょうか。
以前、空耳板でオカルトというか「幽体離脱はありえるか」みたいなスレがあったんですが、「ある、ない」っていう話しだと結論がでないという結論が先に見えちゃうわけです。そういう話しはイマイチ面白くない。
ですから「ある、ない」って問いは判断停止して、とりあえず「ある」事にする、その仮説の上で色々考えるてみる。
例えば離脱した後の「生身」を犬にかじられたり死体と間違われて焼かれないようにするにはどうしたら良いか、やっぱタイマー付けて3分が限度だろうとか。あと幽体は肉体に依拠した通常の五感(視覚、聴覚等)はない(はず)だから、「空中に浮遊して寝ている自分を見た」っても、どうやって見たのか、そもそもどのように世界を認識するんだろうとか。
すっげー下らないけど誰も考えたことがないから「前例」はない、抽象力とイマジネーションの勝負、しかし本気で考えたら頭がおかしくなるような問いなわけです。逆にそれによって見えてくるモノもある....ってこういう落としどころを先に言っちゃうのは反則なんですが。
>宗教について、詳しいことはわかんないですが、少し昔、福原法源?の『足裏教』
>っていうのがありました。あれには、笑ってしまいましたが、ああいうほとんど
>『ギャグ』に近い宗教は、大好きです。
私はとりあえず「宗教を信じないことが正しい」という「信仰」なんですが、別に宗教を超越しているとは思いません、いわば横並びですね。(と言うと宗教の人は怒るかもしれませんが)
さっきの幽体離脱じゃないけど「理想的な宗教」があるとすればどんなものか、実はあんまり良く考えていないんですが、教義は「お笑い」っていうのだけは決めています。(笑) どんなに嘆き悲しんでいても思わず「プッ」と吹いてしまうようなヤツですね。その為には厳しい修行に耐えて一発芸に精進しなくてはならない....ってちょっと暑苦しいかな。
「宗教はまやかしだ」ってのはその通りなんですがヨン様じゃないけど、なぜみんながハマるのかは判らない、「バカだから」「だまされてる」で終わりですよね。
ハイデガーじゃないけど人間は生まれたときから「死」に向かって一直線の存在なわけで「生の一回性」というのは絶対に消せないんじゃないか。
フニャコさんは老荘が根っこにあるみたいですが、私は鎌倉仏教の創始者(日蓮のぞく 笑)は法然にしろ親鸞にしろ「人間が信仰で救われるのか」という問いは考えて考えて考え抜いていると思うんですね、今の葬式仏教からはとても想像ができませんけど。