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(回答先: これは居直り,開き直りの論理ですね。 投稿者 近代化とその戦争からわれわれは何も学んでいない 日時 2002 年 8 月 20 日 04:56:38)
私は、ここで大東亜戦争の合理性・肯定的意義と過去の日本
の決断や行動を簡単に現在の価値観や他国の非難の見地から批
判することの愚かさを説明しているのです。
帝国主義とか植民地主義の善悪をここで論じているわけでは
ありません。あの頃、朝鮮や満蒙で権力の空白や混乱があった
場合、必ずロシア・ソ連が入ってくることは必至だったのであ
って、日本が管理・統治しなかったらソ連になっていただけの
ことです。そういう状況下では当時としては朝鮮・満蒙をほっ
たらかしにしなかったのは当然でしょう。
あの地域は日本の管理・統治下にあったほうがロシア・ソ連
の下にあるよりも日本にとって良いとする当時の日本政府の判
断を簡単に否定することは今だって出来ないはずです。地元の
人たちにとってもどちらが良かったを簡単に判断できますか?
私は当時の政府が朝鮮の人たちに日本文化を法的に強要した
のならそのことは絶対に許せないと思います。しかし、そのこ
とは私が今ここで問題にしているテーマとは話が違います。
日本の過去の断罪は実際には常に他国との比較・関係におい
てなされていることが多いのです。他国との比較において、日
本はより悪かったとされ、他国との関係において日本は不当な
迷惑を一方的にかけたとする話が多いのです。そうでなかった
たら全部の国が悪かったことになり日本を非難できませんから
から当然です。
私は責任問題というのは相手とか他者がいて成り立つものだ
から、植民地問題・戦争責任の話をするときは常に他の国々と
の比較をしながら是非善悪を判断するのは当たり前であると思
います。そうしなければ、今だって日本は外交上歴史問題につ
いても現在の問題についても日本ばかりが他人の悪行や責任ま
で押し付けられて「悪者」「厄介者」にされてしまいます。