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(回答先: 反省と謝罪だけで十分か? 投稿者 一読者として 日時 2002 年 8 月 22 日 13:46:42)
総じて、「他国が日本をどう見ているか」という視点が多過ぎるように思います。半世紀も続いている日本人の特徴でもあります。「あいつの性格はこうだ」と、人が人を批判する時、それは同時に批判者自身の性格をもあらわにするものです。他国の日本に対する批判や言説を気にするより、その中に、政治的意図はもちろんですが、その国の欲望、野心、あるいは経済的窮状、文化、民族性、発展度、腐敗度、etc.を見るよう努めた方が面白いのではないかと思います。
あっしらさんの「大東亜戦争が自存自衛の戦いか侵略戦争かという対立軸で論議すること自体が不毛だと思っています」に、全面的に同感です。また、「敗戦責任問題を議論の出発点に」も同感です。
「敗戦責任」は「戦争責任」より問題の在りかを明瞭にし、イデオロギーや雑多な思想が入り込む余地を狭めた的確な言葉だと思います。
いずれにせよ過去は清算すべきだと思います。清算すれば身軽になります。本当は、1952年の対日講和条約発効の直後、「東京裁判」とは独立して、日本人による「敗戦責任」を追求すべきだったのです。ところが、政府は「戦犯は国内法でいうところの犯罪ではない」という理屈をつけて戦犯に免罪符を与え、問題をウヤムヤにしてしまいました。恐らく、戦争責任を追及すれば天皇の責任問題に触れざるを得なかったからです。以後、この問題はタブーになりました。
しかしすでに昭和天皇は亡く、問題を俎上に乗せる時期だと思います。何と言っても300万以上の犠牲者を出し、国民が長期間の飢餓状態に置かれ、原爆という悪魔の洗礼を受けたわけですから。思えば、せっかく建国した満州を短期間で放棄したのはもったいなく、残念なことです。なぜ放棄せざるを得なかったのか、そこら辺を焦点にして原因や責任の在りかを解明し始めたらよいのではないかと愚考します。史実の解釈の相違とか、百家争鳴になりますが、議論はよいことです。
ところで初歩的な疑問で恐縮ですが、どなたか教えていただければ幸いです。周辺諸国との「債権債務関係」は、すっきりしないまま他国に政治的に利用されたりしていますが、敗戦に導いた政府と国民との「債権債務関係」はどうなっているのでしょう。国債を空手形であることを知らずに買って大損したと、賠償請求を起こす権利はないのでしょうか。または、戦況の見通しが絶望的であるにもかかわらず、政府が国民から借金することが許されるのでしょうか。