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(回答先: 日本・日本人という自尊心の切実な防衛それ自体が目的のためのレトリックなので論理が倒錯・矛盾・破綻している。 投稿者 近代化とその戦争からわれわれは何も学んでいない 日時 2002 年 8 月 21 日 18:25:59)
私は帝国主義一般や共産主義一般を問題にしているわけでは
ありません。英米系独占資本家グループ(王侯貴族を含む)と
今までのソ連や中共に代表される侵略的・圧制的共産覇権主義
を人類文明の敵だとしているのです。
「近代化」さんが紹介して下さったルソーの思想はなかなか
面白いものですが、あなただってそれが「真実・真理」である
と主張しているわけではないと思います。ただ、個人的に賛成
・同感する部分が多いということなのでしょう?
つまりルソーの思想から近現代の国際政治を含めた人類の文
明のあり方を批判しても、その批判が「正しい」かどうかは誰
も何とも言えないではありませんか。
「人間はもともと善良」という発想は今ではむしろ少数派で
はないでしょうか。
ルソーらの啓蒙思想家が近代政治の根本理念とか理想を模索
し、それらが欧米諸国の法務や政治に携わる人々に受け入れら
れ、さらにそれらが先進各国の各種の宣言や憲法に盛り込まれ
るようになったのはだいぶ昔のことです。
近代欧米諸国の帝国主義的アジア・アフリカ侵略・植民地化
が本格化したのはその後のことです。ついこの間までアジア・
アフリカの人々は鉱山やプランテーションで奴隷労働をさせら
れたり、資源や農産物・税金・小作料などを白人に搾取されて
いたのです。逆らうと虫けらのように殺されることも珍しくあ
りませんでした。アメリカでは、悪名高い「奴隷牧場」という
のもありました。
つまり、欧米人にとって「自由・平等・博愛・人権」とは欧
米の白人・キリスト教徒だけに適用されるものだったのです。
「近代文明とは人間を腐敗させる」とか「国家なる幻影にこ
だわる病人は・・・」などと左翼くずれみたいなことを明治維新
の頃に為政者が本気で考えてきちんと近代化や富国強兵をして
いなかったら、日本も他のアジア諸国のように植民地か半植民
地にされていた可能性大です。
そういう人種差別の問題を国際政治の舞台ではじめて本格的
にとりあげたのは日本だったのです。日本は第一次大戦後のパ
リ講和会議だか何だかにその問題に関する意見書を持って行っ
たのですが、ついにとりあげられなかったのです。
その後も日本は大東亜戦争において「アジア解放」を一応旗
印として掲げ、とにかく結果的にはアジア諸民族を欧米勢力か
ら解放するのに重要な役割を果たしたのです。このことは中国
以外の歴代のアジアの指導者たちも認めたところです。
つまり、客観的には旧日本軍はもっともルソー的な存在だっ
たと言えるかもしれません。
「大日本帝国」はときに異文化に対して無理解を示し、自文
化を押し付ける過ちを犯すこともあったようです。しかし満州
国における「五族協和」の思想に見られるように次第に異文化
との共存を理想としては模索する動きもするようになっていっ
たのです。歴史的に満州は中国ではありませんし、満州族の長
たる溥儀の公認と協力のもと殖民・開発を進めたのです。だか
ら欧米流の侵略・略奪植民地と満州国とを一緒くたにして、満
州問題を『帝国主義が抱えている「文明」としての問題を考える
恰好の課題』とするのが果たして適当かどうか・・・。
いずれにせよ、大東亜戦争が当時の文明的状況・世界情勢・
国際環境においては十分な正当性のあるものであり、有意義な
結果も残したものだったことは明らかです。その代償も大きか
っただけに一層われわれは失われた物事や人々がわれわれに与
え続け語りかけ続けていることをきちんと受けとめていくべき
なのです。未来の世代を名指しして死んだ人もいるわけですか
ら。