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(回答先: 他者との関係・比較においてしか「責任」は問題にできない 投稿者 書記長 日時 2002 年 8 月 20 日 15:56:13)
“反近代主義者”として近代経済システム批判の書き込みを続けてきた私としては、「近代化とその戦争からわれわれは何も学んでいない」さんの『明治以降の日本の振る舞いと当時の欧米列強の振る舞いのどこに問題があったのかを抉り出して,それを知恵に変え、欧米と日本自分自身にその知恵を提示すること。そのことによってしか,近代日本の限界を超え,現代もイラク戦争をはじめようとする米英によって展開されている帝国主義を超越することはできないと思いますけど』に全面的に賛同します。
書記長の『私は責任問題というのは相手とか他者がいて成り立つものだから、植民地問題・戦争責任の話をするときは常に他の国々との比較をしながら是非善悪を判断するのは当たり前であると思います。そうしなければ、今だって日本は外交上歴史問題についても現在の問題についても日本ばかりが他人の悪行や責任まで押し付けられて「悪者」「厄介者」にされてしまいます』の「悪者」や「厄介者」にされてしまわないためにも、“近代”が内包している問題点をえぐり出し克服することが不可欠だと思っています。
お二人の議論は、大東亜戦争を「自存自衛」と捉えるのか「侵略」と捉えるかといったレベルにある多数派?の枠組みを超えた意義の高いものだと思っています。
現実が近代国家をベースにしていることから、書記長的な考え方と旧社会党及び共産党的な侵略史観がともに論議する出発点として、昨日も「国家破産」ボードに書き込んだように「敗戦責任問題」を提示しています。
単なる「自存自衛論」は、300万人を超える犠牲者を出した上での敗戦と6年近くにも及ぶ占領、そして、朝鮮半島の分断と中国の共産主義政権の成立によって吹っ飛ばされた考え方です。
近代に対する根底的な批判と克服方法を提示しない「侵略論」は、書記長の論に有効に立ち向かえないものであり、現在の国際関係においても有効な外交政策を打ち出せないものです。
過去の問題はきわめて重要ですが、歴史的に同じ枠にある過去を歴史的に同じ価値観や論理の枠内で裁断しても、有意義に前に進むことはできないと考えています。
そして、現実そのものが、近代的な論理や価値観が桎梏となってしまう段階にまで達しています。
(そのために、戦争が拡大し経済的災厄も広がるという極めて深刻な歴史状況にあります)
経済論理をベースにした近代批判の書き込みも続けていきますが、このようなレベルの高い論議になっているこのレスを活かした論議がより進んでいくことを期待しています。