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(回答先: お二人の論議を活かしたい 投稿者 あっしら 日時 2002 年 8 月 20 日 18:04:01)
書記長さん、「近代化…」さん、あっしらさんへ
先ず、あっしらのさんの概括と洞察に概ね賛同いたします。
特に謝罪に関してのこと、米国は「911」の対応においてその最大の機会を失ったのですが、今、日本が最も可能で最も獲得すべきそれを私はNoblenessであると捉えています。そして、このNoblenessは過去のヨーロッパや古の日本に淵源を求めても見出すことはできえず、むしろ、例えばあっしらさんの提起されるように謝罪を重ねるという事実の蓄積によって新たに創り出され獲得されていくのだと思います。
「近代化…」さんへ(勝手な省略、ご容赦のほどを)
私達は再び歴史を相対化していく新たな緒についたばかりであると感じています。歴史の解釈ではなく歴史に自覚的に参画すべきという理念のもとに推進められた、かの壮大な実験はほぼ失敗に終わりました。それでも、私達は否応無しにこれから歴史を相対化する術を構築するという難問に取り組んでいかねばならず、これこそが学ぶことの本質だと思うのです。(でも、新たな峰の登山を多分固辞するだろう書記長さんとの時間差を埋めるのは難しいかも知れません。)
書記長さんへ
私達日本人はその多くが歴史を相対化しモメントを求める術を未だに持ってはいないのだと、自省を含めてあなたの言説に感じました。確かに多くの文学者や歴史家の探究にも拘わらず、戦後民主主義が歴史の相対化に成功しているかというと甚だ疑問です。それは左翼も右翼も、勿論国会に集うだけの政治家達も同類です。つまり、遺憾ながら私達日本人はそれほど創造のMethodを自身で創作して来なかったために、つい性急にそして我田引水に答を他に求めてしまうのです。それは、太古の昔から、この間の15年戦争開始から戦中を通して戦後も続いています。
書記長さんが一刻も速く信義の処から離脱されることを願ってやみません。なぜなら、世界を憂えると同様に、日本の行末を憂える思いにはそれほど違いはないでしょうから。
再び、あっしらさんへ
氏の相対化の貫徹にこそ問題の解が見出せるという信念を支持し、単なる復古に至ることなく反近代主義をメルクマールとする思考実験の方行と奮闘に期待しています。