http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/668.html
Tweet |
(回答先: 隠された本当の歴史 (2003年) 投稿者 五月晴郎 日時 2012 年 7 月 17 日 01:22:21)

http://blog.onekoreanews.net/moris/91
近年まで、いえ現在でも、朝鮮半島は古来よりの中国文化圏というのが大方の常識です。本書は、考古学的な発掘の成果と史料に拠って、6世紀初頭以前における三国時代の新羅を中国ではなくてローマ文化の影響を受けた地域とする画期的な論説です。
著者の専門はガラス工芸史、東西美術交渉史ですが、ガラス器のみならず新羅特有の樹木冠や装飾品、馬具等、さまざまな遺物を詳細に検討していて、説得力があります。動かしがたい証拠(=出土品)の数々が、常識を覆していく様があまりに鮮やかで、知的好奇心を大いに刺激してくれる一冊でした。
新羅とローマを結びつける証左として黄金の樹木冠やローマン・グラスが現れる度に、なるほどとうなずく。今度、慶州(新羅の古都)に行ったら、改めて国立慶州博物館にこの金冠を見にいとうと思いました。
新羅とローマ文化の関係については、しばしばテレビなどででも紹介されますが、多くの人にとって新羅=中国文化圏の図式はまだまだ色濃いと思います。これから慶州へ行くという方は、是非この本を読むことをオススメします。現地で見る遺物の数々が、違った意味合いと存在感を持つこと、間違いありません。
よく、日本はシルクロードの終着駅と言われますが、遙かペルシアから中央アジア、中国を経て最果ての島日本に辿り着いた人々や物を思うと、そのスケールの大きさに溜め息が出ます。 同様に、本書で述べられているローマ文化も、ユーラシア大陸の西の果てからスキタイ等の遊牧民の手を経て、ロシア南縁からシベリアを抜けて東の果ての半島の小国に辿り着いたのかと思うと、感慨深いものがあります。
新羅は、地理的には高句麗・百済の二国によって中国と隔てられていたがゆえに、独自のローマ系文化を醸成させることが出来たわけです。ヨーロッパでゲルマン民族の侵入、ローマ帝国の瓦解といった歴史的大事件が起こるのと同時に、北魏の漢化、新羅の中国文化への転換が起こるのもまた、歴史の大きな波のひとつといえます。
古い時代の歴史は地域史として地理的にはごく狭い部分に注目が集まりやすい傾向にありましたが、この新羅-ローマに限らず、もはやネットワークという世界的な視野をもって見ることが必要なのだと実感させられました。
特に面白かったのは、「衝撃の皇南洞九八号双墳の発掘」と題する第五章です。この古墳は新羅最大の王・王妃合葬墓なのですが、王の墓からは銀冠が、王妃の墓からは金冠が見つかっているのです。他の王墓からは、例外なく金冠が出土しているのに、この王墓には金冠はなかったのです。規模や出土遺物から見て、間違いなく新羅最大の権勢を誇った王のはずなのに。
他にも幾つか、この古墳には謎があるのですが、それも含めて「この古墳の被葬者は誰なのか!?」という謎を解いていく過程は、推理小説でも読んでいるかのような興奮を覚えました。
* * *
http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/447601.html
ツミイシモツカクフンジユモクカンサイセンリユウキンサイクレンビヘキガンビヤクキ』。この呪文を続けて三回、場合によっては更に七回唱えると、有難いことに古代ローマ文化と朝鮮半島三国時代の新羅との確かなつながりが見えてくる……はずである。
今から二十八年前、三十七歳の由水さんは、『ガラスの道――形と技術の交渉史――』を世に問うた。ガラスの起源とその発展、そしてその後の世界各地への伝播をサブタイトル通り「形」と「製作技法」の二つの面から追跡したものだった。二年間のカレル大学留学(チェコは当時、ソ連軍の侵入・占領など受難の時代だった)、そしてヨーロッパ各地や東地中海沿岸の美術館、博物館での調査研究(パリでは学生達による五月危機など騒然としていた)に基づく闘志あふれる三百三十四ページ、三千八百円の大著だった。この本で特に注目されたのは、正倉院のガラスに関する記述だった。六点の収蔵品について「形と技術」から詳細な分析考証を行い、それぞれ原生産地としてペルシャ、西アジア、中央アジア、中国を特定し、製作年代は四~五世紀から十七~十八世紀に及ぶと結論づけたのであった。聖武天皇遺愛の品々は、勅封によって天平勝宝八年以来厳重に守られて来た、だからこそ正倉院はシルクロードの終着駅とも言われて来た。由水さんは、正倉院、東大寺に残された文書を詳しく検討し、正倉院へのガラスの出入りを文献上からも指摘した。反響も大きく、権威を重んじる方面から、それとなく圧力がかかったともきいた。しかし由水さんは言った。様々な出入りがあって現存するからこそ、正倉院は貴重なのだ。ガラスの一点一点が持つ情報が、歴史の動きを如実に説明してくれる。正倉院は将に宝庫であると。
正倉院のガラスについては、由水さんは六点すべてを復元している。研究のかたわら各務クリスタルに一時身をよせ、ガラス製作の実技の習得にもはげんでいたのだ。従って技術に関する分析は手にとるように具体的で説得力があった。そんな体験と、ガラス工芸への愛着とが、次に東京ガラス工芸研究所の設立へ由水さんを駆りたてた。ガラス工芸のプロの養成学校である。当時日本で唯一のガラス専門学校だった。更に三年後には、石川県の能登島にガラス工房を開設し研究所の卒業生たちと工芸ガラスの製作をつづけている。
マスコミなどでガラス大使のように啓蒙活動を活発につづけながら、ガラス美術館の設立に数多く関与し、地方自治体などの安易な観光美術館構想と闘いながら、いくつかの立派なガラス専門美術館を誕生にいたらしめている。
作家としては、古代ガラス技法の復元によるミルフィオリ、パート・ド・ヴェールなどの他「破れガラス」という技法を開発し新しいガラス表現を世に問うなど、こちらでも意欲的な活動をつづけている。かと思うと、工業としてのガラスにも関心を持ちつづけ、光ファイバーに使用するガラスの透明度とか、世間から厄介者扱いされているゴミ焼却灰の最終処理に焼却灰のガラス化を提案するなど文化の東西交流史だけが由水さんの関心ではない。
そして『ローマ文化王国―新羅』が書かれたわけである。この仕事の前に『世界ガラス美術全集』全六巻の編著という大仕事があった。これは、古今東西のガラスの総覧で、恐らく世界初の快挙ではなかろうか。この大全集は考えようによっては、『ローマ文化王国―新羅』の為の基礎的準備作業だったようにも思えるのである。『ガラスの道』以来三十年、手元に集められた資料を次のステップの為に整理してみたというわけだ。
お隣り朝鮮半島の三国時代(四~六世紀)、唯一新羅だけが圧倒的に強力な中国文化とは異質のギリシャ・ローマ系の文化を享受していたというのである。この一見突飛もない話を、「形と技術」により実証してみせるのが由水流というわけだ。
「遺物に満載された情報を適確によみ解いてゆく」由水さんの手法は、まさに「スリリングな謎解きの面白さ」に満ちていて、今回は、ガラスに加えて、積石木槨墳、樹木冠、細線粒金細工、連眉碧眼白肌(これはガラスのトンボ玉)などをキーワードとしながら、重層的に精緻な論証を行っている。更に、ローマ文化と新羅との交流の必然性を「中国戦国春秋論」「中央アジアのギリシャ・ローマ王国バクトリア」「ケルトとスキタイ」など、古代ユーラシアの壮大な文化交流の流れの一環として捉える構想も進んでいるという。次はどんな呪文が登場するのか大いに楽しみにしている。
(ほそや・ともくに 京都精華大学講師)
拍手はせず、拍手一覧を見る |
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常
|動画・ツイッター等
|htmltag可(熟練者向)
(タグCheck
|タグに'だけを使っている場合のcheck
|checkしない)(各説明)
(←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)
↓パスワード(ペンネームに必須)
(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
削除対象コメントを見つけたら「管理人に報告する?」をクリックお願いします。24時間程度で確認し違反が確認できたものは全て削除します。 最新投稿・コメント全文リスト
- 神輿の黙示録(1)(日本人とは何者か) 五月晴郎 2015/1/31 18:32:08
(24)
- 神輿の黙示録(2)(多民族国家日本の成立とイジメの発生) 五月晴郎 2015/1/31 18:40:19
(23)
- 神輿の黙示録(3)(敗者の反撃:武士団と芸能民の発生) 五月晴郎 2015/1/31 18:43:26
(22)
- 神輿の黙示録(4)(日本密教の発明:「穢れ」から「ケガレ」へ) 五月晴郎 2015/1/31 18:45:32
(21)
- 神輿の黙示録(5)(鎌倉源氏の謎:何故新羅の神を祀るのか) 五月晴郎 2015/1/31 18:48:44
(20)
- 神輿の黙示録(6)(鎌倉源氏の没落:何故三代で滅亡したのか) 五月晴郎 2015/1/31 18:51:06
(19)
- 神輿の黙示録(7)(貴族仏教の退廃と芸能民の黎明) 五月晴郎 2015/1/31 18:53:57
(18)
- 神輿の黙示録(8)(芸能民とは何か:平安時代の遊女は、何故読み書きできたのか) 五月晴郎 2015/1/31 18:57:01
(17)
- 神輿の黙示録(9)(大乗仏教とは何か:鎌倉時代の賎民は何を拝んだのか) 五月晴郎 2015/1/31 19:02:32
(16)
- 神輿の黙示録(10)(戦国時代は第二次源平合戦か:家紋はどこから来たのか) 五月晴郎 2015/1/31 19:07:38
(15)
- 神輿の黙示録(11)(日本国統一と新賎民の発生:デウスとブッダは一卵性双生児か) 五月晴郎 2015/1/31 19:14:08
(14)
- 神輿の黙示録(12)(日光東照宮の謎:江戸時代とは第三百済王朝か) 五月晴郎 2015/1/31 19:16:58
(13)
- 神輿の黙示録(13)(江戸文化の謎:江戸時代は平和だったのか) 五月晴郎 2015/1/31 19:21:10
(12)
- 神輿の黙示録(14)(武士の謎:何故役座隠語と警察隠語が同じなのか) 五月晴郎 2015/1/31 19:25:16
(11)
- 神輿の黙示録(15)(藤原氏と秦氏の謎:藤原氏はユダで秦氏はエフライムか?) 五月晴郎 2015/1/31 19:29:00
(10)
- 神輿の黙示録(16)(天皇と役座の謎:何故役座は神輿に乗るのか) 五月晴郎 2015/1/31 19:32:34
(9)
- 神輿の黙示録(17)(日本列島史の謎:日本史とは藤原史のことか) 五月晴郎 2015/1/31 19:36:33
(8)
- 神輿の黙示録(18)(消された日本列島史:何故、藤原氏は騎馬民族史を抹殺・隠蔽したのか) 五月晴郎 2015/1/31 19:39:37
(7)
- 神輿の黙示録(19)(消された蘇我王朝末裔:何故、猿が馬を守るのか) 五月晴郎 2015/1/31 19:44:50
(6)
- 神輿の黙示録(20)(武士とサムライの戦い:何故、武士のヒゲは濃いのか) 五月晴郎 2015/2/01 10:44:56
(5)
- 神輿の黙示録(21)(武士とサムライの戦い「2」:何故、役人の縄は不浄なのか) 五月晴郎 2015/2/01 10:52:27
(4)
- 神輿の黙示録(22)(明治維新が大化の改新だ:復活した藤原氏と騎馬民族末裔の反乱) 五月晴郎 2015/2/01 10:56:58
(3)
- 神輿の黙示録(23)(明治政府はイギリス東インド会社の傀儡政府だ:夷を以って夷を制す) 五月晴郎 2015/2/01 11:08:07
(2)
- 神輿の黙示録(24)(多民族国家ニッポンの行方:ザ・ファイヤー・ネクストタイム) 五月晴郎 2015/2/01 11:14:43
(1)
- エピローグ 五月晴郎 2015/2/01 11:31:19
(0)
- エピローグ 五月晴郎 2015/2/01 11:31:19
(0)
- 神輿の黙示録(24)(多民族国家ニッポンの行方:ザ・ファイヤー・ネクストタイム) 五月晴郎 2015/2/01 11:14:43
(1)
- 神輿の黙示録(23)(明治政府はイギリス東インド会社の傀儡政府だ:夷を以って夷を制す) 五月晴郎 2015/2/01 11:08:07
(2)
- 神輿の黙示録(22)(明治維新が大化の改新だ:復活した藤原氏と騎馬民族末裔の反乱) 五月晴郎 2015/2/01 10:56:58
(3)
- 神輿の黙示録(21)(武士とサムライの戦い「2」:何故、役人の縄は不浄なのか) 五月晴郎 2015/2/01 10:52:27
(4)
- 神輿の黙示録(20)(武士とサムライの戦い:何故、武士のヒゲは濃いのか) 五月晴郎 2015/2/01 10:44:56
(5)
- 神輿の黙示録(19)(消された蘇我王朝末裔:何故、猿が馬を守るのか) 五月晴郎 2015/1/31 19:44:50
(6)
- 神輿の黙示録(18)(消された日本列島史:何故、藤原氏は騎馬民族史を抹殺・隠蔽したのか) 五月晴郎 2015/1/31 19:39:37
(7)
- 神輿の黙示録(17)(日本列島史の謎:日本史とは藤原史のことか) 五月晴郎 2015/1/31 19:36:33
(8)
- 神輿の黙示録(16)(天皇と役座の謎:何故役座は神輿に乗るのか) 五月晴郎 2015/1/31 19:32:34
(9)
- 神輿の黙示録(15)(藤原氏と秦氏の謎:藤原氏はユダで秦氏はエフライムか?) 五月晴郎 2015/1/31 19:29:00
(10)
- 神輿の黙示録(14)(武士の謎:何故役座隠語と警察隠語が同じなのか) 五月晴郎 2015/1/31 19:25:16
(11)
- 神輿の黙示録(13)(江戸文化の謎:江戸時代は平和だったのか) 五月晴郎 2015/1/31 19:21:10
(12)
- 神輿の黙示録(12)(日光東照宮の謎:江戸時代とは第三百済王朝か) 五月晴郎 2015/1/31 19:16:58
(13)
- 神輿の黙示録(11)(日本国統一と新賎民の発生:デウスとブッダは一卵性双生児か) 五月晴郎 2015/1/31 19:14:08
(14)
- 神輿の黙示録(10)(戦国時代は第二次源平合戦か:家紋はどこから来たのか) 五月晴郎 2015/1/31 19:07:38
(15)
- 神輿の黙示録(9)(大乗仏教とは何か:鎌倉時代の賎民は何を拝んだのか) 五月晴郎 2015/1/31 19:02:32
(16)
- 神輿の黙示録(8)(芸能民とは何か:平安時代の遊女は、何故読み書きできたのか) 五月晴郎 2015/1/31 18:57:01
(17)
- 神輿の黙示録(7)(貴族仏教の退廃と芸能民の黎明) 五月晴郎 2015/1/31 18:53:57
(18)
- 神輿の黙示録(6)(鎌倉源氏の没落:何故三代で滅亡したのか) 五月晴郎 2015/1/31 18:51:06
(19)
- 神輿の黙示録(5)(鎌倉源氏の謎:何故新羅の神を祀るのか) 五月晴郎 2015/1/31 18:48:44
(20)
- 神輿の黙示録(4)(日本密教の発明:「穢れ」から「ケガレ」へ) 五月晴郎 2015/1/31 18:45:32
(21)
- 神輿の黙示録(3)(敗者の反撃:武士団と芸能民の発生) 五月晴郎 2015/1/31 18:43:26
(22)
- 神輿の黙示録(2)(多民族国家日本の成立とイジメの発生) 五月晴郎 2015/1/31 18:40:19
(23)

すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。