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(回答先: どうも、視点に違いがあるようですね。 投稿者 考察者K 日時 2007 年 2 月 14 日 07:02:35)
考察者Kさん、こんにちは。
話題に入る前に、私も断っておきたいことがあります。
特別に必要がない限り「一言一句」同じように「引用」はしない、ということです。
つまり、過去の「対話」の中で私なりに理解したことを基に話を進めたいと思います。
というのも、正確に「引用」しようとすると、「過去レス」から「引用基」を探すだけで精一杯になり「思考」が中断してしまうからです。
「タイピング」「考えを文章にすること」「検索の仕方」どれもこれも不慣れなためです。申し訳ないと思います。
勿論、正確な内容が必要だと思われるところは「引用基」を「明示」することは当然のことだと思っています。
これまでKさんとの「議論」「対話」のなかで感じてきたこと、また、私が物事を考えるときや、「意見」を言う場合に自分なりに「注意」している事等を述べてみたいと思います。
まえに、Kさんが私に、なぜ「阿修羅」に来ているのかと訊ねられた事に、「暇つぶし」と答えました。正直に「暇つぶし」でした。勿論、それは「動機」であって、ましてやどこでも良かった訳でもありません。「阿修羅」の「テーゼ」に惹かれたからであり、いい加減な気持ちで「投稿」しているつもりはありません。「暇つぶし」どころか、内心では「大変なところに来てしまった」との思いが強いです。(W)
時間が足りません。(W)
私は、誰が何のために「阿修羅」に来ているか知りたいとは思いません。「動機」も「目的」も様々だと思っていますから。でも、一つだけ共通していることは「自分を高めたい」ということではないかと思っています。
しかし、「考察者K」さんには是非とも聞いてみたい。「あなたは、なぜ、阿修羅にきているのですか?」と。
「対話」「議論」は何のためにしているのか、ということです。相手を「論破」する為でも、自分の「主張」を「押し付ける」為でもないと思います。他の人の「意見」や「考え方」を知りたい。そして「自分を高めたい」ということだと思うのです。
あなたは、まえに、誰かに導いて(だったか)ほしい旨の「依存性」があると「自己分析」していますが 、人は皆多かれ少なかれ「依存性」という言い方が適切かどうかは別にして、持っているのだと思います。それが「向上心」の一つの表れでもあるのだと思います。
なかには、「奇問」「難問」を投げかけて、返事が出来なければ「論破」したと「自己満足」をする様な人もいるとは思いますが。「議論」とはいえないでしょう。
あなたが、自分で立てた「スレッド」に対するレスをほとんど目を通していないといったり、最初から、対話をしても無意味だ、といった「予断」をもっていることは、残念なことだと思います。もちろん、Kさん自身「思い込みという間違った判断」かもしれない、と言っていますが。
少なくとも、自分が立てた「スレッド」にたいしては責任を持つべきだと思いますが、・・
「哲学」について
「哲学」というと大方の人が、「そんな難しい事」とか、「私には関係ないとか」言っていますが、「哲学」とは、事物をどう解釈するのかという「見方」「考え方」であり、考える動物としての人間は、どんな人でも「深浅」「精粗」様々な形で、「哲学」を持っているものだと思っています。たとえ「哲学」という形で認識していなくても。
「哲学」は、「xx論」「xx主義」などと分類され、それぞれに論理的整合性を持たせるため或いはその正当性を証明するために研究や議論がされてきたのだろうと思います。
そういう意味では、「哲学者」というのは、私のような凡人には想像も出来ないようなことを考えているのかな、と思います。
私の考え方を「哲学」的に分類すれば、「弁証法的唯物論」「史的唯物論」なのだろうとは思っています。
古本屋で手にした本が「物の見方、考え方」(高橋庄治:著)<だったと思います、不正確です>だったのですが、「入門書」みたいなやつで、それまで自分が考えてきたことが整理され、ストンと頭に入った気がしました。その後に「猿が人間になるについての労働の役割」(エンゲルス:著 訳:不明)を読みました。「ダーウィンの進化論」を読んだ訳ではありませんが、「進化論」的考えも理解できました。
勿論、これらについて深く学んだわけではありませんから、正しく整合性の取れた考え方になっているかどうかは判りませんが、出来るだけそう在りたいと思っています。
人はみな、「より易い方」「より得な」考え方へと流されやすいものだと思います。
その時々の自分に、有利な考え方をしていると、往々にして自分の考え方が「整合性」を持たない物になってしまうことがあります。
私は、物事を考えるときは、「どの考え方が自己に有利か」「自己の利益のためにはどう主張したらよいか」という立場を排して考えるようにつとめています。
取り留めのない話になりました。では、