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(回答先: その提案はどうでしょうか? 投稿者 考察者K 日時 2007 年 2 月 15 日 07:00:11)
考察者Kさん、レス有難うございます。
取り急ぎ要点のみ。
Kさんは「日の君強制」に反対だが「不起立の運動」について「相違点」がある。と主張していると、理解しています。
Kさんが、「不起立」に理解は示しつつも「運動=手法」として同意できないのだ。というのであれば、確かに私の理解不足でした。
と、するならば、なおのこと「相違点」(お断り:私は、「日の君」論争でKさんに批判的立場の人たちを代表している訳でも無いので、以後「相違点」とは、私とKさんの「相違点」と理解してください。勿論、「同意(案)」ができれば「論争関係者?」にも「同意」を求めていきます。)
は、少なくなると思います。
>少し穿った見方かもしれませんが「君が代不起立」という手法によって「目標の到達点が遠ざかる(解決が遅れる)」なら、「手法を考え直す」のが当然なのですが、同情し賛同してしまったら「解決を放棄した」と云うことになってしまいます。
Kさんの考えからすれば当然の主張とは思います。そして、正にこの点が「相違」の中心なのだと思います。
だとすれば、おおきな見方をすれば「日の君強制」反対に対する方向性は、同じだと理解できるのではないでしょうか。
Kさんの、「心配」も善意で言っているというのも理解できます。
そのうえで、Kさんに、もう一歩突っ込んで考えてほしいと思います。
運動の主体は、実際に強制させられている教師である、というこを。
「運動」の「戦術=方針=手法」は主体である教師でつくる「労働組合」である。
つまり、「方針」については、Kさんも私も「部外者」だと言う事。
「運動方針」が正しかったか、Kさんの意見が正しかったかは、歴史的に証明されると思います。
それまで、Kさんの意見を「保留」する。
「日の君」問題の「論争」は、これを終結する。
しかし、「新たな争点」が出てきた場合は、その「争点」についてのみ「議論」をする。
この点で「同意」が出来るのであれば、前レスとあわせて整理したいと思います。
「同意案」を提案するなどということは、おこがましく「阿修羅新参者」がやる様なことではないのかもしれません。
しかし、
それぞれに過去の経緯を引きずって、引くに引けないものがあるのであれば、むしろ、
過去を知らない私が適役なのかもしれません。
なによりも、「不毛」な「論争」を終結させて、「新たなテーマ」での「議論」なり「論争」をしたほうが「有意義」かと思います。
「阿修羅」のためにも。
ご検討を。