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(回答先: Re: 今の天皇は現王朝が出来てから四代目(孝明天皇で前王朝は終了し、明治天皇から新王朝が始まっている) 投稿者 Westerfluss 日時 2004 年 2 月 06 日 20:48:33)
Westerflussさんこんにちは。
(Westerflussって何語なのでしょうか。Engelland (英国)と同じ言葉でしょうか?)
大変興味深いエピソードありがとうございます。
この手の切実な話は、多くの場合真実であることが多いのではないか、と思っています。(そうでなければ語り継ごうというエネルギーが続かない)
この話が本当だとすると、南朝対北朝の戦いの結果としてある「すり替え」というものも、それだけが独立して存在するのではなく、水面下の一連の両派の血みどろの戦いが背景に連なっているのかもしれませんね。(あっしらさんの考え方を補強するものです)
やはりご先祖のおじい様は、北朝派の方だったのではないでしょうか。
大正天皇の即位式に呼ばれたというのは、ある面納得がいきます。
それは、大正天皇が、北朝系統の人だった、という話が根強く語られている(らしい)からです。
このことが本当だとすると、明治以降、いったん南朝が皇位についくが、それ以降南北朝が交替で皇位につく、という妥協があったのかもしれません。
大正天皇は、病弱でその一生のうち、20代と30台始めしか自分らしい人生を送れなかった人のようですが、この皇太子時代に転地療養を兼ねて日本全国をこまめに回っています。そしてなぜか、何度も孝明天皇のお墓のある泉涌寺(明治以前の天皇家の檀家寺。それ以降天皇家とは縁が切れているようです)にお参りしている事実が個人的には気になっていました。
それで前回の文章でも、タイトルを「明治天皇以降は南朝系」と書けなかったんです。
このエピソードを聞いて、大正天皇北朝説にググっと傾いてしまいました。
もし大正天皇が北朝系だとすると、昭和天皇他2名の宮達3人は誰の子?ということになりますが、彼らが南朝系だとの前提にたてば、明治天皇の直接の子供だと考えるのが自然だと思います。(暦を見てみると大正天皇が比較的健康だった頃にできたお子様ということになりますが、立て続けに3人の子を作られるほどの身体だったのか、との疑問もあります。)
それから先は、、、、よくわかりません。今でも南北朝が交替で天皇位についているとすると、今上天皇は北朝系ということになりますし、南北朝交替の約束は大正天皇で終わったとすると、それ以降は南朝Onlyで続いているということになると思います。(ここから先は、現皇太子以降の後継ぎをどうするか、につながる話題になってしまいます。)
それにしてもこのようなことが本当だとすると、国民の前に姿をさらしすぎて内情がばれないようにするために、天皇はますます奥深く鎮座させておく必要があったということなんでしょうね。