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(回答先: 大正天皇関連・とりあえずのまとめ 投稿者 リーマン 日時 2004 年 2 月 10 日 06:42:17)
リーマンさん。 こんにちは。
興味深いお話をありがとうございます。
このネタは基礎知識が乏しいことから、判断できていません。
通りすがりさん投稿をざっと読んだ時点での「いいかげんな」感想です。
○ 証言主体ですね。 具体的な史料や物の提示はあるのかな?
そもそもまだ鹿島氏の本を通読していないので、今後の宿題ということにします。
○ 吉田松陰が「玉」を隠し持っていたみたいな話は違和感がありました。
もし大室家の「南朝系図」が事実であったとしても、
水戸学の文脈において(我々の文脈ではない)、それが正統王朝という論理になるのか?
ここがよく分かりません。
なにしろ、草莽に埋もれてから何百年もたっているわけです。
これがもし正統なら、そもそも草莽に埋もれていない「北朝王朝」の正統性を否定できるとは思えません。
たとえ先祖が南朝であったとしても、
草莽にいったん埋もれた家が、南北朝以降「連綿と続いてきた」ことが明らかな北朝王朝よりも
王家としての正当性があるという論理は無理があるように思います。
○ お話それ自体は面白いです。
明治元勲となった長州藩士の一部が、
グラバーと接触し、
幕末に留学した伊藤を中心として「悪魔との契約」を結んだ、
大日本帝国はこの契約上で動かされたが故に、
国民の努力にもかかわらず(あるいはそれ故に)滅亡した
と「直観」しており,
以前の投稿で「契約」についてごく簡単に触れています。
その契約内容については、表面的なことしか分からなかったのですが、
これが契約内容の中心だとすれば、
非常に納得がいきます。
これでは大日本帝国が滅亡したのも無理はないという意味での納得です。
もともとの発端から「急所(キン○○?)」を握られているわけですからね。
倒幕のために悪魔と契約する。
こういうことは、現世ではありふれたこと、よくあることだと思う。
○ 頼山陽が関わったというお話も面白い。
彼の「日本外史」は革命の書です。
大塩平八郎の反乱を止めたり、弟子たちに「(倒幕まで)もし20年待て」といっていた話は有名です。
革命のための隠し「玉」を準備していたと。
「玉」という言葉が非常に納得がいきます。
○ 水戸学で「大日本史」編纂がペリー来航前に区切りがついて皇国史観がほぼ完成していたという問題もあります。
これも不思議な感じがする。
徳川慶喜は、徳川幕藩体制を可能な限りスムーズに葬るために送り込まれたようにすら見える。
○ 有栖川について
(彼は、北朝出身者でありながら、明治天皇すり替え事件に加担する側について、
明治クーデターを成功に導くのに大きく貢献したのではないでしょうか。)
京都近辺では、意外に知られた話だったのかもしれません。
以前から不思議に思っていたことがあります。
丹波亀岡大本教の出口王仁三郎が、彼の落とし胤であるという「伝説」があります。
出口は、青年期に大怪我をして生死の境をさまよったときに、
母親からこれを告げられたということになっています。
(親を知りたるほととぎす)という和歌が残っています。
有栖川が「南朝すり替え」派であるとすると、
出口も草莽に埋もれた皇室落胤であり、
少なくとも大室を超える皇位継承権がありそうです。
このあたりが戦前大本教躍進の理由だったのかもしれません。
つまり近代天皇制の「虚偽」を映し出していた「影」であったということですね。
それがゆえに民衆の深層心理に訴えたと。
(昭和10年にすさまじい弾圧を受けて徹底的に破壊された理由もよく分かる)
○ 大正天皇についてご教示ありがとう。
三笠宮と昭和天皇は兄弟なのでは?
どうもよく分からないです。