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(回答先: 「将来日本が標的になることも有り得る」根拠 投稿者 あっしら 日時 2002 年 9 月 27 日 16:46:38)
ご議論は経済面に限った話で、政治的・軍事的に日本が将来の標的になるのではないことをまず確認しておきたいと思います。
次に、ご指摘になった米国の日本への「経済侵略」についてですが、これは貴殿のご理解通りで特段の異論はありません。しかし、欧州資本と米国資本相互の浸透に見られるべく、グローバル化が進展する中でむしろその方が常態なのだという見方も当然ながら成立します。言うまでもないことですが、80年代後半から90年代前半までは日本資本の米国への「経済侵略」が見られました。タブロイド水準の米国輿論の一部は「アメリカの魂を買う気か」と激昂したものの、時の米政権は日本勢の出資制限など一切行う気もなかったし、事実行わなかったということは想起されて良いと思います。
別の見方をすると、1400兆円になんなんとする個人金融資産のある我が国ですから、米国経済を「支配」したければ株でも不動産でも買いに行けば良いわけです。そうしないのはそれなりの経済論理が存在するからです。同じことは米国資本側にも言え、新生銀行のような「破格な条件」なら飛びつく外資は引きも切りませんが、損をする魅力のない国に投資を続けることはあり得ません。要するに、事は損得勘定の問題だということに帰結してしまうわけです。
とは言え、国民経済保守の観点がゼロで良いのか、というと勿論そんなことはありません。貴殿の危惧される通り、あまりに日本側の負けがこんで来ると、反米感情の悪化に拍車がかかるでしょう(93年にクリントンが登場した時の日本への憎悪とも言える対抗意識は凄まじいものがありました。あれと全く逆のことが日本でも起こるでしょう)。だからこそ、日本経済を一刻も早く立て直し、行き詰まった企業が二束三文で外資系に買い叩かれるのを指をくわえて見ている(優良日本企業が幾つもあるのにそれら企業が手を差し伸べない)ような状況を打破しなければならないわけですが、その具体的な手法は、米国の出資を制限することではないし、市場主義に異を唱え、ブッシュ・ドクトリンを排撃することでもありません。