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(回答先: 確かに最後は宗教観の問題になります。しかし内容に対する応答をして下さい。 投稿者 日 日時 2008 年 9 月 16 日 23:21:55)
>日さん どうもです。
日さんの基本思想は
>【どちらも自ら創造出来ない自他を含む命というものを勝手に決定しているという意味で。完全無欠で無い事を自覚するのなら、死刑や延命(臓器移植に限ります)で強引に命を絶ったり無理矢理生き長らえさせる事も、その傲慢不遜の根は同じでしょう。】
に集約されていると考えられます。
これは、何に対して「傲慢不遜」なのです?
ここをKは「宗教感」と表現しました。倫理意識でも何でも「その人の思い。であり感情です。」
これ憑き物ではなく「その人の感性で、根が深いもの」ですから、ほとんど落とせません。
「私は、このように思う」「そうは思わない」という言い争いをしても良いのですが、感性はその人個人のものであり、変えられるほど「Kの言霊使いの能力は高くありません。」
>【臓器移植は医療の工夫の域を超えています。死刑が懲罰の域を超えている如く。完全無欠でないことを自覚しながらそれをした時、社会全体を統括しなければならぬモラルの土台の崩壊は始まります。】
この連鎖性が良く分かりませんが、Kは必ずしも正しくはないと考えます。
少なくとも、臓器移植をすれば「助けられる命がある」のです。
大自然のごとく、という思想が存在することは承知しています。しかし、人類はそれに逆らって今日まで文明を発達させてきたのが事実であり、それが人類が霊長類と呼ばれる証です。
「臓器移植は神の摂理に逆らう不遜行為だ!」、では「虫歯治療や風邪の治療はどうなのでしょう?」
おそらくですが、医療行為を否定し、自然だけを受け入れるのなら、人の寿命は50に達しないでしょう。歯がダメになっただけで栄養摂取が不十分になり、風邪でも容易に死に至るでしょう。
Kは以前に盲腸の手遅れで大手術を受けました。その時には医師の誤診で腹膜炎になってしまい、死の淵を覗いてきました。
医療技術がなく、手術という技術がなければ今のKはあの世の存在です。
ですから、Kは医療技術の発展は人類である限り追及すべき「神への挑戦行為」と信じています。
その上で、不正が発生するなら、発生しないように工夫すべきであり、医療行為そのものをなくせば良いとは考えません。
そのように考えるKが「内容で応答したら、喧嘩になるだけ」でしょう。
おそらくですが、Kは絶対に引きませんよ。物わかりの良いほうのKですが、お前なんか死んでいて良いという意見を受け入れることは良しとしないでしょう。
それは不毛でしかありませんよ。