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(回答先: 善意のドナー登録者までもが加担する犯罪 投稿者 日 日時 2008 年 9 月 20 日 02:26:25)
>日さん どうもです。
議論が堂々巡りになってきていますね。
新しい視点が提示されずに「Kが論証したことが反証なしに再提出されているだけ」との印象を受けています。
まず最初に「気になったのは」
>【読み落とした事はKさん以外には分りませんね。Kさんだけの真実です。その結果曲解した返信が来た事、これは現象として誰もが確認できる記録された事実です。読み落としでも何でも、曲解は曲解。曲解で無いと言い張る事は強弁です。】
これは、Kのミスから端を発していることですが、Kは自分の非を認めた事項です。
それを更に「再提出する」には「Kが臓器移植以外の医療行為について日さんが反対しているかのような論理展開を未だに止めない」等の理由が必要です。
そうでなければ、「日さんがKを議論に勝つために嘘でも詭弁でも、どんな卑劣な手管でも弄するという評価をしている」ということです。
確かに「読み落とした事はKさん以外には分りませんね。」は正しい見方です。しかし、それを再提出し、Kが嘘をついて誤魔化したような感じ、Kを信頼していないのでしたら、どうぞ、議論はされないで下さい。Kは相手にする価値もないでしょう。
しかし、多分、日さんは、そのような意味ではなく【曲解は曲解。】であり、【読み落とし】と言い換えても「それは揚げ足取りのような強弁だよ」というような自分の表現の妥当性を主張されたいのでしょう。つまり、日さんの主張において「曲解」と書いたのは妥当でしょうという主張をされたという「Kに対する不信感の主張ではない」ということです。
しかし、Kがワザワザ、言い換えたにも理由はあります。それは「曲解」という表現の持つイメージです。悪意があるのか?否か?という意味ですが、通常「曲解」というのは「分かっていて無理にねじ曲げて解釈する」という意味に使う人が多いだろうと思う訳です。つまり、故意に相手の主張をねじ曲げたという意味ですが、Kの場合は「相手の文意は読み取ろうとしますが、文字列は斜め読み的な場合もあるので、読み落とした」ということで、決して、意識した行為ではないのです。
意識しない「誤った解釈」を「曲解」と表現するのは果たして妥当でしょうかね?
これは、個人の理解ではなく、読者から見たイメージとしての「見地」から見て判断されるべき事でしょうけどね。
全体主義・集団主義の件ですが
>【二つの熟語の定義の問題で、何故そんな断定があなたに出来るのです?】
断定しているという意識はありませんが、「真の」全体主義ならば、言い換えれば「人類主義」であり、全体が一個の集団ですから、戦争したくても「相手がいない」でしょう。
厳密な言葉の定義に拘泥することなく、もう少し「肩の力を抜いて、イメージとしてとらえてほしい」のですが、この辺は性格もありますから、難しいのかもしれませんね。
>【だから狂えば両者とも同じでしょう。同義語といってもいい程度。結果の前にこの差を論じても、結果によって「どの主義」だったかという程度のことではありませんか。】
分かり難ければ「人類・地球的全体主義」をKは真の全体主義とイメージし、国家的全体主義を集団主義と表現したということですが、まあ、確かに狂えば両者共に「個人を犠牲にして全体の利益を守ろうとするのは同じ」です。
語句を問題にするのではなく、意味を考えるようにしていただきたいのですが、ここで、Kが主張したいのは「全体主義」などというものを憎んだって駄目ということです。
個人尊重も集団主義も一長一短があり、どちらの方が優れているとは言いきれないものです。ですから「それは全体主義につながるから駄目」的な意見には価値がないというようにとらえて下さい。(もっとも、全てが全て無価値と決めつけるのも問題はあります。)
>【Kさんは「疑わしきは罰せず」という鉄則を支持しますか?】
ケースバイケースで判断すべきで、先に「罰する」とか「罰せず」と決めつけるべきではないと考えています。
今までの経過で日さんはグレーゾーンを許さない性格に見受けられますが、Kは「物事は白黒がハッキリ付かない場合の方が多い」と思っています。
それでも、人間には決断しなければならない時はありますので、原則としては「疑わしきは罰せず」で良いだろうと思っています。
日本の司法制度には多くの問題があり、誤審はあるとも思っています。まだまだ「判決の精度を上げる工夫はされるべき」と思います。
その意味では、「誤審のために死刑になる危険性を持つ司法制度を信頼しきって、死刑という極刑を許すのは危険」という意見はあるだろうと思います。
でも、それは「誤魔化し論」です。
誰が見ても明々白々の事件というのもあるわけで、「誤審の可能性のない死刑が妥当な罪」があるならば、死刑は廃止できないからです。
>【そのマイナス面は再犯による被害者の発生の可能性ですが、容疑が濃厚でも、犯罪を完全に立証出来なければ無罪として、万が一の無実の者への罪を被せない事を優先した考え方です。
この考え方を理解するのであれば、理屈は同じです。】
この考え方を「理解」はしていますが、必ずしも「同意」はしていないので、理屈を支持すると言うことにはならないでしょう。
誤審による再犯が発生した場合には「誤審」をした部署にリスクを課すべきでしょう。
これは、裁判官たる個人の責任を問えと言う意味ではなく、司法制度の不完全さを是正する努力をすべきという意味ですが、実際の所、人間は完璧ではありませんから、永遠のテーマになるでしょう。
いずれにしても「完全に立証出来ない」から、少々の再犯の発生のリスクはあきらめるという方向には同意できません。
現在の司法制度はあきらかに欠陥のあるシステムとなっています。
例えば、一度判決の出た「無実」という審理は決定されてしまうのですが、その審理結果は、「そこの段階での判断」でしかないのに「それを事実としてしまう」は真理追究の放棄でしかありません。仮に納得しない人がいるのなら、捜査の続行も許されるべきでしょう。その上で新事実が発見されれば「真実に近づく」でしょう。
この辺で「外堀は埋めきった」と思いたいのですが・・・
>【人が生み出せない臓器を移植する医療とは何ぞや?です。】
単に人類が手に入れた「医療技術の一つ」でしかありません。何で、それほど大げさに構えるのかが理解できません。
>【現人類のレベルならば、たがが外れると自我が暴走します。】
はあ?そうなのですか?
そのたがが外れて暴走する「様子」を具体的に「描いて下さい」
個人のイメージを強調して、恐ろしげな事を書くのは【それ以外を解禁すると美談の影で地獄の門が開くのです。】で、ご指摘させていただきましたが・・・
もう一度確認しておきますが「宗教観抜き」で議論されているのですよね?
もしかすると
>【そうして特権階級は順番待ちの庶民の頭越しに違う入手先を開拓しました。】
以下の一連の主張が「具体的に描かれた暴走」なのかな?とも思いますが、以前にも主張しましたが、変に闇に隠れ、一般化していない「今だからこそ」の状況であり、「たがが外れる前の過渡期の地獄絵図」ではないかとKは思いますよ。
全ての状況がガラス張りになり、多くの人が「臓器移植に違和感を持たずに協力の姿勢に変化して、理解を示す。」のが、日さんの主張される「たがが外れた」という状況でしょう。
一般化され、医療保険の適用も受けるようになれば「一部の資産家の特権(=金がなければ受けられない)」ではなくなるでしょう。まあ、それでも、かなり高価な治療費は発生するでしょうが、それも技術の一般化に伴って、低下するでしょう。
前のレスで書きましたが無視された「飛行機」の論考も含めて判断してほしいのですが、昔は「飛行機に乗るのも一部資産家の特権(大金が掛かった)」と言えたでしょう。
そこまでを含め、科学の発展と過渡期の「混乱」という視点でもう一度、考え直して下さい。
Kが勘違いした「延命(臓器移植以外)」を日さんは受け入れると言うことです。
単純な医療行為も、例えば簡単な手術すらも「最初は悪魔の所業」と忌み嫌われたのですよ。その点を「良く考えて下さいね」
>【その万が一の生体提供者にあなたが選ばれる危険性がある、だから幼年期の自我社会での臓器移植医療は否定しなければならないのです。】
どうも、日さんは「Kが、この部分を良く理解されていない」と思い込まれているようです。
Kは「危険性はゼロではない」と承知しているつもりですよ。恐らくですが、仮にKが無実の罪で死刑になり「生きたまま臓器を取られる」という時が来たら、泣き叫び神を呪うでしょう。
では、だからと言って、Kはここで意見を変えようとは思いません。
最初に書いていますが、現在の司法制度でも「Kを無実の罪で死刑にするのは、ほとんど不可能に近い可能性だ」と思います。これは確率論ですが、その可能性はコンマ何%あるか?ないか?という確率です。
一方、仮に「Kが医者に臓器移植を受けなければ助かりません」と言われる可能性は、結構あるでしょう。恐らくですが、臓器移植を望むでしょう。
まあ、Kは気まぐれな性格ですから「そこまでして生きながらえたいとは思わない。」と、臓器移植を勧める医師の申し出を断る可能性もあります。
実際には、その場になってみないと分かりませんが、少なくとも、Kが愛するものが病に倒れ、臓器移植が唯一の道であると言われれば、Kは「臓器移植を切望する」でしょう。
これは、恐らくというレベルではなく、例え本人が拒否しても「実際に行う事が出来る出来ないにも無関係に、それを望む」のでしょう。
このKの意見を読んでも、なお、Kが日さんの主張の「意味を理解していない」と思われるでしょうか?
>【この社会はまだ未成熟なのです。子供に刃物を持たせないのと同じです。】
この項は、飛行機の話で論証済みですが、更に解説しますと、臓器移植は「悪意の行為か?」それとも「善意の行為か?」を考えてみて下さい。
臓器移植を利用しようという「悪意の行為」は「臓器移植という医療行為とは別個の問題」という点は再確認して下さい。
そうすれば、臓器移植というのは医療行為の一つの種類でしかないし、本質的には「善意の行為」であることが理解できるでしょう。
その上で、未成熟であると言うことを理由に封印しようと考えるのか?未成熟なのだからもっと発展する環境を育て「成熟させようとする」のか?という問題なのでしょう。
Kは「個人としての視点」「集団利益としての視点」「行為そのものの善悪の考察」などを示しました。その上で「総合的に判断した」と主張しているのです。
>【しかし、創造してみませんか?未熟な社会だからこそ発生するのが犯罪であり、犯罪の無い成熟した社会では死刑制度も無いということになります。】
死刑制度があっても、実際に使用されることはないという社会が理想であり、死刑制度そのものが存在しないという社会は「不完全なシステムの社会だ」というのがKの考えです。
実際には使用されない制度など無くても良い。という場合はありますが、必ずしも無くても良いと言うわけではないでしょう。
罰があるから、それに抵触することをはしない。というのは必ずしも正しいとは思いませんが、「その罰則があるから、その事を行う人がいない」という状況は実際にあるでしょう。
つまりは、罰則込みで「システムが構成されている」と言うことです。
>死刑制度の【廃止を望む者も無くなりません。それは希望であり、目標なのです。】
誤った目標を達成することに意味など無いでしょう。
目標というのは「共通の利益として妥当であり、自己満足に埋没するようなものではない」と言うことを「決定の前に精査する」のが正当だろうと思いますよ。
蜃気楼のような偽りのオワシスと、分かっていながら、そこに到達することが目標として妥当かどうか?
賢人であるなら「目標は常に修正するもの」と知っているはずです。