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(回答先: 言い争いをするつもりはありませんが・・・ 投稿者 考察者K 日時 2008 年 9 月 21 日 09:16:00)
どうもです。
>一方、日さんは違うでしょう。以前にお聞きした所では「敗者は勝者に従う真剣勝負」と言うことでしたよね。
その議論の時の前後関係もあるでしょうし、表現として正確には覚えていませんが、まあその言葉で良いです。
その補足をさせてください。
勝者が完全無欠と言う訳では無いので、全て従えという訳ではありません。
そのテーマについての自論だけを勝者のものに変更するだけです。
言い方は違っても
>「Kの思い込みや、Kの盲点を指摘し、Kの間違いを正してくれる人を求めている」という姿勢
とはつまりそういうことでしょう。同じではありませんか?
議論の勝敗とは、そういう意味で敗者しか決められません。
本心からの理解や反省が必要で、それで初めて敗者は勝者のレベルを血肉のものとするアップが出来ます。
それが無い敗者はただ負けただけです。いや、負けを認めてすらもいないのです。
そんな議論は双方にとって無駄な骨折りですし、不毛でしかないでしょう。
だから議論の前に真剣かどうか、退路を断ったかどうかを確認する必要があります。
その覚悟の確認で、負けを認めた時「敗者は勝者に従う」宣言(約束)をしてもらうという事になります。
その宣言をしてもらっても、その議論テーマの決着を見た時、敗者が真似すべき行動が双方共に無い場合があります。
そのような議論だと気が付いた時には、もっと大きな覚悟が必要だと思っています。
その時は更に、より深い議論によって共に新たな価値観を築こうとする創造行為が始まる、という自覚が必要になります。
これはセックスに例えられます。
大抵の議論は気持ち良い範囲で行なわれ、受精しそうになるとセーブしてしまいます。
或いは初めから双方とも精子も卵子も備わっていない子供の議論だったりします。
受精後の議論もあります。
その生みの苦しみは大変なもの。これは途中で止めたり引き返したりすれば死産です。
>「信念」というのは言い換えれば「その人の結論」です。これは、議論によって変化する代物ではなく、憑き物落としの出番はないので、Kは議論しても無駄と判断し、議論を避けようとしたわけです。
ですからそれでは上の
「大抵の議論は気持ち良い範囲で行なわれ、受精しそうになるとセーブしてしまいます。」
ということだと日は思います。
>「曲解」を理由に日さんの方から「勝利宣言をする」のも「議論の一方的打ち切りされる」のも構いません。
これも上の
「議論の勝敗とは、そういう意味で敗者しか決められません。
本心からの理解や反省が必要で、それで初めて敗者は勝者のレベルを血肉のものとするアップが出来ます。
それが無い敗者はただ負けただけです。いや、負けを認めてすらもいないのです。」
ということで、日からの勝利宣言などは有り得ません。
>今回の日さんの主張のポイントは「おぞましさ」ですが、Kはここに憑き物があるような気がしますが、「内容に踏み込む」のは議論の継続にならざるを得ませんので、「議論の決着は付いたのだから、これ以上の真理の追究は不要」とされるのなら、Kの敗北で決着でも仕方ありません。
Kさんの感じたポイントが「おぞましさ」ということで了解しました。それが憑き物?
日にはよくわかりませんので、よろしくお願い致します。