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(回答先: Re: どうも、議論が堂々巡りになってきましたかね。 投稿者 日 日時 2008 年 9 月 21 日 04:41:37)
>日さん どうもです。
日さんと、Kでは、最初から「議論に対する姿勢」が大きく違っています。
Kにとって議論とは「勝ち負けは関係なく、真実を見極めるための一つの方法」でしかなく、Kが阿修羅に巣くっているのは「阿修羅なら、Kを論破してくれる論客が来そうだから」です。Kが議論が好きなのは「Kの思い込みや、Kの盲点を指摘し、Kの間違いを正してくれる人を求めている」という姿勢の表れです。
ですから、Kは「負けを求めて議論をしている」のであり、決して「勝利したような体裁を取り繕って悦に入っろうとしている訳」ではありません。
一方、日さんは違うでしょう。以前にお聞きした所では「敗者は勝者に従う真剣勝負」と言うことでしたよね。
「曲解」の件ですが、当初Kは「臓器移植反対」は日さんの信念に基づいて提出されたものと考えていました。その上で多分「医療行為全般を自然の摂理に逆らう行為」と考えているのだろうと推定し、その理由は多分に宗教的なものだろうと推測しました。
「信念」というのは言い換えれば「その人の結論」です。これは、議論によって変化する代物ではなく、憑き物落としの出番はないので、Kは議論しても無駄と判断し、議論を避けようとしたわけです。
しかし、Kに読み落としかあり、Kの推測は否定されたので、Kは読み落としの「非を認めて議論を受けた(=本腰を入れた)」のですが、その段階になって「曲解」に更に拘られても困ってしまうのですが・・・
無論、Kが議論に勝つために「卑怯も厭わない性格」と考えるのなら、「曲解」を理由に日さんの方から「勝利宣言をする」のも「議論の一方的打ち切りされる」のも構いません。
Kがミスをしたのは事実ですし、議論を競技ととらえるなら「ミスをした時点で勝負は決着しています。」
恐らくKは阿修羅において「一番多く敗北を認めている常連」でしょう。
過去の「Kが負けを認めた敗北には、読み落とし一本、勘違い一本」という種類のものもあります。
今回の場合は少し「Kとしての感覚は違っていて、議論を拒否したKは、読み落としのミスによって、議論を受けるのが妥当」と思ったのですが、日さんの感覚が「今回の臓器移植の議論の決着とするべき」というのなら、Kは構いません。
そうではないのなら、この辺で「曲解」からは、離れたいと思っています。
もちろん、Kのミスで、日さんに「嫌な思いをさせた」のですから、その点は幾重にもお詫びしますし、「反省が足りない」とされるのは仕方ないとも思いますので、この文も書かせていただいていますが、これ以上、曲解に拘泥しても「不毛」でしかないでしょう。
今回の日さんの主張のポイントは「おぞましさ」ですが、Kはここに憑き物があるような気がしますが、「内容に踏み込む」のは議論の継続にならざるを得ませんので、「議論の決着は付いたのだから、これ以上の真理の追究は不要」とされるのなら、Kの敗北で決着でも仕方ありません。