★阿修羅♪ > 雑談専用33 > 274.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 【 問題の本質】を取り違えているのはKでしょうかねぇ〜? 投稿者 考察者K 日時 2008 年 9 月 23 日 07:50:01)
どうもです。
>【 問題の本質】を取り違えているのはKでしょうかねぇ〜?
【非常に残忍な思い付き】という発信をしたのはKさんです。
プラマイ要素論としてスレを立てたのなら、日は応じたりはしませんでしたよ。
つまり、日にとって問題視しているのは【非常に残忍な思い付き】そのものです。
このスレを日が無視できなかったのは、そのことに対してKさんが
【非常に残忍な思い付き】を自覚しながら、それでも
【世間体や「冷酷な人だという意見」は気にしないで「そう思うから、そのように宣言をしている。」】と主張してしまうのは、背後にある重大な問題に対して無自覚だと思ったからです。
だから【思いつき】程度で発信したのでしょうし、プラマイ要素論で応じたのでしょう。
そこを諌めているつもりですが、そうすると
【かなり、認識が違っているようですねぇ〜】の中で
【もう一度、最初から、2人のやり取りを確認していただきたいのですが、日さんが曲解と感じたのは、「Kが議論するのは無意味」とする意見の中のことであり、「飛行機」の考察をはじめとする。Kの「臓器移植に対する考察」に反証の意味がないというのは「不適切」でしょう。】となりました。
そのKさんの考察とは
【将来の社会と個人の利益に対しての、プラマイ要素論で判断した臓器移植に対する、まだ自分にとっては机上の過去と未来の考察】なのです。
日が問題としてレスしたのはその背後にある重大な問題が「事件は今、現場で起きている」事を、自らのこととして捉える現在の考察としてはどうなのか、ということです。
だから
Kさんはご自分にとっての都合の悪い発言をプラマイ要素論にすり替えて、話を流しているのですよ。
話せば話すほどどんどん横道にずれて行く手法を無意識に取っているのではありませんか。
これは退路を断っていない姿勢としての顕われでもあるのですよ。
退路を断つと、どんなに会話が進んでも、又はある程度横道に逸れても、問題の本質は失われたりはしないものです。
ただですね、臓器移植医療というものに対する世の中の認識はというと、圧倒的にKさんと同じですね。
日と同じ意見はこの阿修羅や「晴耕雨読」でも発見出来ていません。
それでも繰り返します。
プラマイを比較して今は目を瞑る、そんな悠長なことを言っているのではありません。
それではブラック企業に対するKさんの主張と合致しません。
日は「残忍な」ことへの反証をしています。それは今も現在起きている。
そこから一歩も進めません。
本文へのレス
>でも「善意の医療技術の向上」と「金ほしさの密売行為」は全く別の問題です。
基本的に「ドナー登録する人は、お金ほしさで登録しているわけではないでしょう」
善意の気持ちで「私の臓器が他人の命を救うのなら」との思いで登録する人が大半でしょう。
【善意の医療技術の向上】の恩恵(人と物のインフラ)を利用する特権階級の違法行為は、【金ほしさの密売行為】に関係するものです。つまり、その土台があるから、その違法行為も成り立ちます。
そこに美談や社会的利益誘導まで用意する。
金に執着してねずみ講に引っかかる如く、生に執着してそこまで付け込まれるのは民衆側の落度であり、我欲です。
美談を温床として、我欲や利益が肯定され育まれて行きます。
今、体が傷付き、血を流している人々がる。
先に引用した「杜子春(とししゅん)」の幻影の如く、それが現実として受け止めて見えないだけです。
しかし現実か幻影かはどうでも良いのです。
そうしたことを可能にする土壌がそこにあると気付いた事を自覚したと知るべきなのです。
そうした地獄を許す土壌は、自らの利益を失っても否定すべきです。
たとえ人類全体の利益のために為っているものであろうと、そんな人々が居る事を知ってしまった者として、何をなすべきか?
論証とか反証とかは、現実の手当ての後になるでしょう。
そういう意味で「原罪」を理解しない人類が突き進む先には、我と家族を守る為の闘争を正当化させた「対立と共食い社会」が待っています。
>「医療技術を封印」しろというのは【問題の本質】を取り違えているのではないかと考えます。
上記により、それは「原罪」を理解しない「無神論者」の暴走となります。
宗教は封印して話すつもりでしたが、退路を断ってくれないKさんには日もどうして良いか打つ手が無くなりました。
>日さんは、日さん本人はともかくとして「日さんが愛する人が、病魔に侵され、臓器移植が助かる唯一の道」となった時でも「かたくなに反対する」のでしょうか?
「個と他の命」に限定しても「視点を特定の個に固定してしまうと結論を見誤る」でしょう。
夫婦間、親子間にはその意志は伝わっております。
そうまでしての延命より、次の生に繋げる生き方の価値観までをセットで説明して、それを皆納得出来ているようです。