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善意のドナー登録者までもが加担する犯罪
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投稿者 日 日時 2008 年 9 月 20 日 02:26:25: IR1H95zbmUf8k
 

(回答先: 全体主義から戦争になる? そこから間違いですよね。 投稿者 考察者K 日時 2008 年 9 月 19 日 19:37:59)

Kさん、どうもです。台風なので時間が取れました。

>まず、最初に勘違いを正しておきますが、全体主義が戦争につながるというのは誤りです。
>真の全体主義というのは「人類共有の利益」の追求になりますので、戦争にはなり得ません。戦争になるのは「集団主義」です。つまり、その集団が他の集団を滅ぼしても利益を得たいという時に戦争になると言うことです。

二つの熟語の定義の問題で、何故そんな断定があなたに出来るのです?
全体主義=個人の利益を犠牲にしても、国家の利益を優先する。→ 敵対国の前に一丸となる為の政治手法。ストレートな表現。
集団主義=一人は個人、個人は一人のために。→ 前者の不幸な歴史を踏まえて、オブラートに包んだ表現。

だから狂えば両者とも同じでしょう。同義語といってもいい程度。結果の前にこの差を論じても、結果によって「どの主義」だったかという程度のことではありませんか。

前のレスのKさんの標題にも?を感じたものの、あえて指摘しませんでしたが、こんな断定をされると明確にしておいた方が良さそうです。

>曲解があります>読み落としであって、曲解ではありません。

読み落とした事はKさん以外には分りませんね。Kさんだけの真実です。その結果曲解した返信が来た事、これは現象として誰もが確認できる記録された事実です。読み落としでも何でも、曲解は曲解。曲解で無いと言い張る事は強弁です。

些細なことですが。

>決して十分ではないでしょうが、Kは多角的に色々な方向から見た上で論理を構築しています。
その意味では日さんの方こそ、「臓器を不同意で奪われる被害者」の視点に固定して発言をされています。
個人という場合には「助かる人」という個人からの視点もあるのです。
臓器移植の発展によって「救われる命」は無限に広がっていくのでしょう。

Kさんは「疑わしきは罰せず」という鉄則を支持しますか?
そのマイナス面は再犯による被害者の発生の可能性ですが、容疑が濃厚でも、犯罪を完全に立証出来なければ無罪として、万が一の無実の者への罪を被せない事を優先した考え方です。
この考え方を理解するのであれば、理屈は同じです。
人が生み出せない臓器を移植する医療とは何ぞや?です。
現人類のレベルならば、たがが外れると自我が暴走します。そうして特権階級は順番待ちの庶民の頭越しに違う入手先を開拓しました。
その医療を善とする社会で技術とインフラを合法的に更新させつつ。影で違法行為。なので、どうせなら新鮮な生体から採ろうとします。
それに適した生体は死刑囚だけでは見つかりません。ある日突然、そう誰でもが誘拐される可能性があるのです。
その万が一の生体提供者にあなたが選ばれる危険性がある、だから幼年期の自我社会での臓器移植医療は否定しなければならないのです。
この社会はまだ未成熟なのです。子供に刃物を持たせないのと同じです。

>Kは自分を「本当に餓えた時に、理性を保てる人格者」と確信する自身はありません。タバコの禁煙にすら成功しませんので、多分は理性は保てないと予測します。よって、綺麗事を言っても始まらないと考えています。

それは謙遜でしょう。意志ならば日も弱い方です。やはりタバコが止められぬし。
けれど飢餓による自我の暴走はしないでしょう。奇麗事で言ってもいません。そこは無神論者との違いかも知れませんね。

>しかし、本当の悲劇はその後です。
良く考えていただきたいのですが、この全世界の被害者の2億人は、ほとんどが食料生産国(=開発途上国)に集中するでしょう。
日本でも、人とのパイプ役を果たしているような人が主体で亡くなることになるはずです。

この観測は鋭いかもしれませんが、ではあなたの中では自給自足が喫緊の課題とされているのでしょうか?

>本来なら、死刑制度をなくすのは「本末転倒の考え方」です。
死刑制度の適用を受ける人が出ない社会を築こうとするのこそが本則という意味ですが、死刑を宣告される人からの視点だけで考えると、平気で死刑廃止論などと言う綺麗事の自己満足の意見に支配されてしまいます。
死刑判決を受けた人の「元の事件の被害者の視点」というのも考えて下さい。

Kさんが納得されない思いは理解出来ます。しかし、創造してみませんか?
未熟な社会だからこそ発生するのが犯罪であり、犯罪の無い成熟した社会では死刑制度も無いということになります。
つまり、死刑制度の存在は未熟な社会を証明するひとつの物差しでもあります。
その成熟した社会を目差そうとして、過渡期的に死刑制度を肯定する場合、では一体どの時点で、死刑制度を廃止すべきでしょうか?
成熟し切った社会では犯罪そのものがなく、死刑制度は存在しない。だから
つまり廃止を決定するその時点ではまだ犯罪がある社会です。
目標に向かって目差す過程で、何が見えているか?
理想の社会とはこうあるべき、という、そのひとつずつの姿が想像され、それを夢見る人々が、それを見失わない為には?
想像で見えているその社会をとりあえず真似していくしかないのです。
綺麗事でもやり遂げれば誰にも文句は言えないでしょう。

展望としては当分死刑制度は無くならないでしょう。しかし、廃止を望む者も無くなりません。それは希望であり、目標なのです。

日はその制度の是非に関する運動をそういう位置づけで捉えますので、要は犯罪そのものを無くす為の、マネー社会を打倒する取り組みをしています。それが問題の焦点であり、定めた照準という事になります。  

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