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(回答先: 戦争の否定は喧嘩の否定では無く、殺しの否定。それと同じ。 投稿者 日 日時 2008 年 9 月 19 日 00:41:16)
>日さん どうもです。
まず、最初に勘違いを正しておきますが、全体主義が戦争につながるというのは誤りです。
真の全体主義というのは「人類共有の利益」の追求になりますので、戦争にはなり得ません。戦争になるのは「集団主義」です。つまり、その集団が他の集団を滅ぼしても利益を得たいという時に戦争になると言うことです。
>【個の命を全体論で語る前に、自らに直面する問題として考えて見て欲しいのです。】
決して十分ではないでしょうが、Kは多角的に色々な方向から見た上で論理を構築しています。
その意味では日さんの方こそ、「臓器を不同意で奪われる被害者」の視点に固定して発言をされています。
個人という場合には「助かる人」という個人からの視点もあるのです。
臓器移植の発展によって「救われる命」は無限に広がっていくのでしょう。
>【そこまでして人は生きなくていい。進歩もしなくていい。
戦争では皆そう発言するでしょう。】
どうでしょうか?
これは、今の日本だから「そのように思う」という部分もあるでしょう。
Kは
http://www.asyura2.com/08/idletalk32/msg/802.html
でも書いていますが、2012年までに相当多くの人が死ぬのではないか?と思っています。
恐らくですが、この冬より来年にかけて「鳥インフルエンザが大流行する」でしょう。
科学者の予測では、日本で210万人、全世界では2億人が犠牲になるとも言われています。
しかし、本当の悲劇はその後です。
良く考えていただきたいのですが、この全世界の被害者の2億人は、ほとんどが食料生産国(=開発途上国)に集中するでしょう。
日本でも、人とのパイプ役を果たしているような人が主体で亡くなることになるはずです。
この意味が想像できますか?
これ、来年以降、未曾有の食糧危機が来ると言うことです。
多分ですが「日本でも、日頃反戦平和を唱えているよな人を含めて、政府に対して、あらゆる手段を講じても、食料の確保を要求する」でしょう。
あらゆる手段というのは「戦争をも含むでしょう。」
ハッキリ言いましょう。綺麗事など意味はないのです。
人は「本当に餓えた時には人肉さえ喰らう。」のは過去のデーターが示しているのです。
Kは自分を「本当に餓えた時に、理性を保てる人格者」と確信する自身はありません。タバコの禁煙にすら成功しませんので、多分は理性は保てないと予測します。よって、綺麗事を言っても始まらないと考えています。
>【>で、拒否者は「人体実験の方に回ってもらって、人類に貢献していただきます。」
恐ろしい事を軽く言ますね。「人体実験」という言葉の意味が分っていないのですか?
死体解剖とは違うのですよ。生きている人体でないとデータが不可能な実験と言う意味です。同じ生体の臓器摘出より更に悲惨な事が起きているというのに。。。】
本当に恐ろしいと思い、自分が「その恐ろしい目に会いたくない」と思えば立派な犯罪抑止力となるのでしょう。
本来なら、死刑制度をなくすのは「本末転倒の考え方」です。
死刑制度の適用を受ける人が出ない社会を築こうとするのこそが本則という意味ですが、死刑を宣告される人からの視点だけで考えると、平気で死刑廃止論などと言う綺麗事の自己満足の意見に支配されてしまいます。
死刑判決を受けた人の「元の事件の被害者の視点」というのも考えて下さい。
無論、その事件が起こった背景というようなものも考慮する余地はあるでしょうが、どんなに凶悪で救いようのないような事件の「犯人」を税金で一生涯、国が食わせるというのなら、犯罪の抑止効果は無きに等しいと言えるでしょう。
残念ですが、人には一定の割合で「箸にも棒にも掛からないような、真の意味のクズ」が生まれるのです。
せめて、人体実験の糧となって、少しでも「人類に役立てる」というのは、考え方としては成立するはずです。
もっとも、今の日本には「綺麗事文明が大手を振っています」ので、平和ボケが終わらない限りは「絶対に支持はされない」とは分かっていますけどね。