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(回答先: 複雑化するルール作りは人類の足枷になるだけと考えています。 投稿者 考察者K 日時 2008 年 12 月 01 日 12:14:52)
>日さんとは以前にもやり取りしましたから、合理的に割り切ろうとするKと、人道主義・人生観に振ろうという日さんの議論は平行線になることが予測できます。
ですから、水掛け論になりそうな場所は出来るだけ避けたいとしてKは、全ての事柄に対処しない場合があることは、最初に断っておきます。
理屈が通れば道理が引っ込む、でしたっけ?合理に優先する道理があるとしたら、何とします?
そこを退路を断った議論で突破したい訳です。
>「助け合うしかより快適に暮らす方法はない。」と一般的な考え方を出来る人は、死刑相当の犯罪者になる比率は低いでしょう。
利己主義者は「他人のためには指一本動かしたくない」という性格を有しています。
仮に先住者が作った家屋があり、スキがあるなら、自分が作るより、それを奪う方が楽とは誰でも考えることでしょう。
先住者も自分が住める最低限の家屋を作るでしょう。中には「後から来る者の分を考慮して、孤独の回避のために、余計な手間を費やしても、複数の人が居住可能な家屋を用意する」というような人もいるかもしれませんが、そんな人は「誰が見ても救いようのない死刑囚になる可能性は低い」のではないでしょうか?
そこに連行する最中に言い聞かせます。
「先住者とトラブルを起せば単独エリア行きだ。協力して生きればその分便利になる。逆に単独エリアを希望するなら合図を送れ。監視カメラで確認出来る。」
協調性の欠片も無い異常人格者は最初から単独エリアです。
>管理方法が具体的に分かりませんので、正確な評価はできないでしょうが、「脱出不可能な無人島に死刑囚を捨てる。」というイメージと、「巨大な島を利用した収容所で厳重な管理をする。」というイメージの良いとこ取りの両立はほぼ不可能です。
どちらでもありません。後述しますが、それよりも想定しているのは大物権力者を施設に収容した場合、奪い返しに来る武力は半端ではないでしょう。
その時の為に対応する兵力はありません。殺傷兵器も否定しているのですから。
そんな場合は無抵抗で奪還するに任せます。その代り奪還されたことは世界中に知れ渡ります。逃げられません。
潜伏中社会に害はもたらすでしょうが、それはこちらも覚悟しなければなりません。
>今回の案の場合の囚人の多くは「一般的には死刑は免れない狂人」でしょうから、銃で脅しながらでなければ、移動命令にも従わず、反抗的行動に出た場合は「他の囚人への見せしめの意味でも即座に射殺等の措置を徹底する必要性もある。」でしょう。
「麻酔銃と捕獲ネットなどで不殺の処置」をして、囚人に甘い思いを抱かせたら、収拾は付かなくなる可能性もあります。彼らには「これ以上、落ちる場所はない。」のです。
麻酔銃と捕獲ネットがあれば、猛獣も檻に収監出来るでしょう。絶海の孤島までの移動に何の問題もありません。
見せしめも脅かしも不要です。麻酔銃では死なないからといって、向かって来たら必ず痛い思いをして、その後は眠らされてしまうのです。
気がつけば檻の中です。銃よりも気楽に撃てますので、抵抗の素振り一つで、躊躇わずに発砲される恐怖がありますから、その発砲確率という威嚇効果は銃以上です。
>この辺まで来ると、相当の人員を配置し、施設を完備して、囚人を管理するという必要性が出てきます。
上記にも書きましたが、監視カメラと事務所程度とその要員で設備は終わりです。絶海の孤島から脱走するのも自由(100%の死を覚悟で)ですし、奪い返しに来るのも自由です。ただ、そのことを全世界に報道するだけです。
>一方、のたれ死にOK、自殺容認、イカダでも作っての脱出だけを監視する「無人島へ捨てた。」という状況であるなら、費用も負担も大幅に軽減され、ある意味では死刑より恐れられる「絶望島流し」も考えられますが、管理しないのですから、島の中での弱肉強食状態が予測できます。
書いたはずですよ。そこを犯罪者の類性、性別、年齢などでエリアを区切り、同類を住まわせますし、協調性の欠片も無い異常人格者は
最初から単独エリアに入れます。そして上記にも書いた通り、暴れても何の得も無い世界である事を護送途中で言い聞かせますし、そのことは監視されているのです。
>この推理は妥当だと思いますが、後はバランス調整の「工夫の仕方」になるでしょう。
ここまでが、Kの前レスでの説明と推理です。
その懸念には全てお答えいたしましたが、それでもまだ異論があれば遠慮なくどうぞ。
>まあ、予測された回答です。
ここが、決定事項と決まっているのでしたら、全ての議論は無意味と「宣言している。」ということですから、少なくとも、Kからすれば「Kが説得されるしか決着ののない議論」ですから、応じるのがバカです。
Kは議論に負けるのはかまいませんが、喧嘩別れするか、負けるしか決着しようのない議論に付き合う来もありません。
実体も無い掲示板での罵倒合戦などには興味はありません。こんなバーチャルでは興奮して険悪になったりはしない事はお互いに認め合っていると思いますが。
>主張は、理解できなくもありませんが、観念論であり、自分の主観の強弁と思えるものです。
【死刑とは度を越えた裁きであります。】とのことですが、Kは「人間は、死刑という決着を超えられる決着法を手に出来るほど完成はしていないし、それを手にしているかのようにおごるべきではない。」と主張させていただきます。
>人間は不完全であり、時たま、悪夢のような存在を生み出すのは「事実」です。
生み出された悪夢は「どこかで決着させる」という必要性があります。
その方法に「人類は死刑を超えた方法を手に入れていない」のです。
それを手に入れたかのように思うことこそが【そのことを肝に銘じ、身の程を弁えるという意識が必要です。】に外れた行為かもしれませんね。
裏付となる根拠がなければ主観の強弁かも知れませんが、根拠も裏付もこれから提示する用意はあります。
>「相手に死を与える」というのは人類発生から、人類が手にしている「神に許された行動」ですが、
?了解出来ないので、そんな風に通り過ぎるように決め付けないで下さい。
>人道主義・人権主義というのは人類が進化の過程で、「模索中の完成していない理念」でしかありません。
未だに「真理にはたどり着いてはおらず、道半ばでふらついている仮説」なのです。
それこそが人類を頂点とした価値観から見ている幻想です。人類を超えた存在からすれば、答えが出ているかも知れないと想定してみることをお薦めします。
それは合理的結論のひとつです。
その答えは世界に示し申されている、と想定する。その上でだとしたら、議論による到達より、この森羅万象を観察し、類推し、その答えを見出す為のチューニング(想定)をした方が結局は早い、ことは自明の理です。
>乱立した「人道主義・人権擁護といった理念は暴走の末に複雑怪奇なルールを生み出しています。」
「少子高齢化・ニート・モンスターペアレント・著作権問題・・・」
そう言った、現在問題化している多くの現象は「人間が人類をうまくコントロールできるルールの形成が可能だ。」という慢心の上に発生しています。
それは対症療法となります。それでは問題ごとに対処する事になり、糸が縺れる様に、ルールも複雑化し、副作用で更に悪化するのです。
>そろそろ、この辺で、行き過ぎた人権擁護にはストップを掛けるべきだと思っています。
人権擁護などしていません。むしろ逆です。民主といい、民が主であるとする思いこそが傲慢なのです。
仮にその民の親がいると想定してみてください。
親の創った世界を、子が勘違いして思い上がっているので、この世界に出現している手本から、なんら学ばず真似もせず、破壊している。
それが現行の人類社会です。
親をバカにする子は社会で苦しむと親の偉大さも理解します。それが破滅前に気がつけば手遅れにはなりませんが。
このままでは人類は示されている目の前の手本も見ずに破滅するのみです。
>このままの方法に進むと人類は複雑怪奇になるルールに足を取られて一歩も先に進めなくなるでしょう。
>基本的にはルールは少ない方が良く、シンプル イズ ベストです。
「悪意のある行為は条文に書かれているいないにかかわらず悪」であり
「法で定めた規定がないから無罪」ではないのは自明の理です。
ですから、言葉通りにここは同意ですが、中身が違いますね。
>自分の都合において「他者の生命を奪った」という場合には「基本的には命で償わせる」で当然ではないでしょうか?
罪という現象は病と見ます。病ならば治療が必要です。以下は最大多数の最大幸福さんに宛てた中身をそのまま再掲します。
実例犯罪の分析データ(ひとつの病巣)から、犯罪を無くす方法が見つかるとは思いません。
社会病理から犯罪が生まれると思うのです。つまり病巣よりも病理の原因を改めて行く事が必要です。
自給自足は病理を駆逐する根本です。ですから、極刑該当者こそが真っ先にその治療対象となります。
>仮に「日さん自身が他人の生命を奪ってしまった場合」に、日さんは「お詫びに自分の命を差し出すことに納得せずに、異を唱えるのでしょうか?」Kは、基本的に罪もない人の生命を奪ってしまった場合には「自分の死をもって償う」には納得したいと思っています。
なんか矛盾した設問なので答えにくいですが、
仮にですが、それは過失、しかも不可抗力以外で殺してしまう可能性しかないですが、そのような時にお詫びや異は誰にするのでしょう?遺族にですか?それはそれ相当に責任を取るでしょうが、自らの命を差し出せと言われたら、それは異を唱えます。
そうではなく身勝手な思いでの殺人ならば、本人が一番承知していますので、全てを認め、どんな刑でも構いません。