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(回答先: Re: 思い違いなら、そこが新たな出発点となっても良いわけですが。 投稿者 彼岸楼 日時 2008 年 12 月 03 日 14:49:32)
彼岸楼さんは、Kとの対話はされないようですから、変な横やり応援する資格もないのでしょうが、「Kの一部の言い回しにチャチャを入れるような応援は困ります。」ね。
しかも、その一部が「恣意的解釈」では、なにをかいわんやです。
「分からない」というのは「超常的な存在である神」
捕食してここまで人類が生き延びてきたのは「弱肉強食による、自然という名の神の摂理」と説明してあります。
超常現象については「議論によって、正解は生まれません。」
分からない現象は「あり」
その現象の正体は「議論」ではなく「科学の発展」によって「知る」しか解明法はないのです。
一方、道理というのは「筋道立てて、論理考証をすれば、正解は理解できるもの」です。
【この点に関しては「死をもって償うしかない」というのが正しいと強弁するつもりもありません。】というのは、被害者の心情に配意した上での「過失の殺人行為」にたいしてであり、以前にも書きましたが、情状酌量の余地まで考えるなとまで言う気はないという延長線上での意見です。
他の凶悪殺人行為と混同させて、矛盾しているように「イメージ誘導」されては困ります。
変な、チャチャ入れするくらいなら、Kに直接、意見をぶつけてください。
Kは誤魔化しや、詭弁を弄してまで、自分の思考に固執したいとも思いません。
「道理にかなった意見なら、取り入れますよ。」
Kは十分にアホですが、「自分に憑き物が憑くことはない」と言い張るほどアホではありません。
Kを死刑廃止論者に転向させるのは、簡単です。
Kは「すでにその理由を見つけ、死刑廃止に納得しています。」
しかし、議論には、誰もその点を突っ込まないだけです。