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(回答先: 思い違いなら、そこが新たな出発点となっても良いわけですが。 投稿者 日 日時 2008 年 12 月 02 日 23:55:06)
日さん、こんにちは、横レスにて失礼します。
>>前のレスで「相手を殺すのは神が許した行為です。」と書きましたが、全ての生命は他の生命を捕食することで、自らの生命を維持しています。プランクトンも植物も全ては生命であり「肉食はしない」という菜食主義には「意味はないと思っています。」
>>まあ、中にはカスミを食っている仙人のような人もいるとの情報もありますが、少なくともKの周りにはいませんし、実際に合ったこともありませんので、ここは無視します。
>オールオアナッシング的な単純思考ですね。宇宙をそんな単純に見切ることなど日には出来ませんね。
>複雑すぎて説明困難ですが、だからといって死刑を正当化し、納得することなど出来ません。
>どちらが正解かと割り切るのではなく、出来るなら殺しもするよりはしない方がいい。
>其処に向けて出来る限りの努力をすれば良いのではありませんか?
>その方向で出来る限り努力する姿勢を捨てる必要が何故あるのでしょう?
>それを偽善と呼ぶ事の方が実は楽であり、死刑制度にまで敷衍して正当化しているだけです。
死刑は人間(達)が創った制度であり、神の許可とは本来的に無関係のものであるのは自明でしょう。斯かる観点からも考察者k氏のレトリックには単純思考どころか論理的に不整合な点があることを否定できないと考えます。
>>その上で、分からないものを議論によって、判定できるとは思っていません。
>>分からないものは言葉によって分かるわけがありません。
>分らないのであれば尚更、何故死刑を正当化して支持するのです?それは断定でしょう。少なくとも廃止論者の姿勢は、それが分らないからこそ、死刑を極力廃止すべきと主張しているのです。分りますか?
断定回避の措置としての判断停止というのは論理的思考の基本的な心得の一つであり、死刑(制度)の正当性に関して疑念(不明確性)がある以上、その運用の停止ないしは廃止を主張することは極々自然で理性的な帰結であると考えます。
>>実在が確認できない存在は「存在しないことを前提に生きていくのが妥当」です。
>>元寇は神風で防がれたという「伝説」がありますが、神風を期待して作戦を立てることは愚か者のする事です。
>>よって、神の存在を前提にして行われる議論に付き合う気はありません。
>最近の風景変化当てクイズ番組でたとえます。そのかなりの範囲や全体の色調が最新技術で徐々に変化していくのですが、それを注視して見ている多くの人の目にはその変化が分りません。最後には大きく変化してしまうのですが、何も変化していないと思えるのです。変化の前と後で双方を見比べると、はっきりと分るその違いも、多くの人は全く認識出来ないのです。
>見比べれば分ります。それが類推です。そうすると厳然と存在する神が見えます。
おそらくそれは、現象の外に立つ=時を超える=(1000年後の←松浦さん)未来から地球の現在を望むことと同義かも知れません。そして、神もまた鏡像の中(うち)に己を見ることになるのでしょう。
Auf Wiedersehen.