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(回答先: 神はその人の心に憑く「憑き物」です。 投稿者 考察者K 日時 2008 年 12 月 03 日 14:04:56)
>癌だけではなく、病気というのは「医学」の分野であり、オカルト分野ではありません。
ご存知かと思いますが、医食同源、一物全体、身土不二といった言葉があります。
病の源の殆どは食生活に起因するという考え方です。
その食物は自然の法則に則った作り方で無ければ、有害な物になります。
自然に則る、それは人が自然界と同化した存在である以上、それに従う謙虚な姿を意味します。
それらの考え方は一つの循環した流れ(摂理)を持った入れ子構造になっています。
必然的にその摂理は精神の有り方にまで及び、病も自然環境、地球、宇宙と密接な現象の一つとして捉えます。
その循環、その流れを、断ち切ろうとして来たのが現代文明です。
現代文明とは一者独占支配から延びた縦割り構造から成り、その文明を構成している様々なジャンルも専業化してしまいました。
つまり循環摂理科学を否定した文明なのです。
その中の医学の主流も対症療法を主体とする医学です。
彼らのやり方は患部(病巣)を見て、そこを治療しようとするか、無理ならば切り捨てようとします。
他の分野との連携を拒否し、病巣を見て、病理の本源に目を伏せるのです。
再掲
人類科学を至上とする初発の不合理は、自らが生み出せぬ世界に自らを置きながら、未解明の合理の全体を不合理と切り捨ててしまっていることです。
>その人の生き方も心の持ち方も関係なく「小児」でも発生します。
何の事も無い。その親の生き方、心の持ち方を子が受け継いだだけです。そうでない場合にも、必ず原因はあります。そこまで見通す事が縦割り医学には出来ないので、対症療法でお茶を濁しているのです。
>驚異的な毒性を持つインフルエンザも死亡率は100%ということはほとんどありません。
100人が感染して、90%の致死率でも10人は生き残ります。
レアケースはどこにでもあるのです。
たまたま、その人は「癌から生還した。」としても、誤診だったかもしれないし、その人独自の体質だったかもしれないのです。
それが、「全ての人に当てはまる」という「思いこみ」こそが、結果的に詐欺をのさばらせるのです。
その点を、よく考えてください。
「その人は奇跡的に助かったという実例がある」というだけでは、何の証明にもなっていないのです。それを、他の人にも当てはめるためには、その状況が医学的に解析され、理屈が解明されなければ、「何の意味もない」のです。
「ガンを愛したら、ガンが治癒した」というのは「その人の主観でしかなく、検証できる根拠は何もない」ということは「少し考えれば分かるはずです。」
では又一つ、少し長いですが参考サイトを
http://blue.ap.teacup.com/97096856/913.html
ここで書かれている内容で駄目なら、日が何を言ってもKさんには無力でしょう。
>ここに至って、このような、非合理的な思いこみを出発点にして組み立てられた、「島流し案」は、事実上、意味を失ったと思っています。
一度は高い評価をして頂きました。あれは何だったのでしょうか。
主張とその背景とは別です。夜道で色眼鏡を掛けると、道を見誤りますよ。お気を付け下さい。
>日さんは、この主張を正当だと思っているのでしょうか?
なんで、自分の身内に被害を被っていない「第三者が冷静に断ち切る」のが正しいのです?
それを言うなら裁判自体が第三者の判断です。仮にもその判決が下り、極刑(日案)に処され、殴っても、心を収めない。それじゃ何処かの国みたいです。
恨みとか、未練とかは当事者では何処まで行ってもなかなか断ち切れないものです。だから第三者がきっぱりと断ち切ってあげなければならないといっているのです。
>仮に、裁判員制度で決着を付けるのなら、「過去に、自分の最愛の身内を犯罪で失ったことのある、その事件には全く関係ない、別の犯罪被害者だけ」で判決を下してみればいいでしょう。
身内を殺された悲しみを実感として判断できるのは、経験者だけです。
それこそ平静でない、公平性を欠いた、リンチ裁判になります。
>それを「冷静な第三者」を介在させるということが、「加害者人権擁護」という「エセ人道主義の屁理屈」でしょう。
それがゆくゆくはリンチ裁判の温床と化すのです。それをお望みですか?
>実は、Kはシンプル イズ ベストと繰り返し、主張し、「屁理屈付けて複雑化することの愚かさも注意深く説明した」と思うのですが、「この上記の理由」が、「何のためにここまで複雑化する(=理由が分からなくする)のだろう?」と、そこが一番不可解です。
シンプルだと思いますが。具体的に何処が複雑なのです?それは上記の事?全くシンプルそのもののつもりなので、まるで言い掛かりを付けられているようです。
>「恐怖を与えるためではない」なら「抑止力向上」には繋がらない。
抑止力よりも犯罪の発生病理の根絶が優先されるという観点です。
>「犯罪の分析(病巣の研究対象と)もしない。」のなら、再発防止にも役立たない。
再発防止は病巣の駆除に主眼を置くのではなく、病理の根絶に向けたものとなりますから、対症療法的犯罪の分析は二の次です。
個別事例の臨床データとかは専門家研究にだけ任せておけば解明されると思うのが甘いのです。
もっと全体的な把握が必要なのです。つまり病理研究です。
>その上に「加害者の人権擁護」も考えていないと言い。
死刑賛成のあなたに言われる筋合いでもありません。
>「大物犯罪者は奪還させて組織壊滅を目指す」とも言う。
すべてが、自分の都合の良いようにしか取ろうとしない「ご都合主義」でしょう。
何処がご都合主義なのです?言って良いことと悪い事がありますよ。
なんか一々応えているのが情けなくなるような事になって来ました。以降端折ります。
>日さんは、例えば、過失で相手の「腕を奪ってしまった場合」
「本当に済まないと思うのなら、あなたも同じ腕を失うのが妥当です。」と、それだけしか求めない相手被害者の言い分は「不当」だと思うのでしょうか?
不当です。そんな者は被害者意識を伝家の宝刀にして振りかざす、大ばか者です。
>故意、過失の差があり、判断は難しいでしょうが、Kは「全く悪意のない過失という行為において、相手に損失を与えた場合で、同等の等価要求を相手が主張するのは妥当」と考えています。
じゃあKさんは大ばか者です(笑)
じゃあ逆に質問しましょう。その悪意無き加害者は未成年でした。しかも見目麗しい美少女でした。しかも泣いて謝っています。
逆に加害者が醜い中年男だったら?美少女は許し、中年男だから片腕を落とせというなら、この世は終わりです。
勿論、泣いて謝る美少女の片腕も切り落とすようなら、さらに狂気の世界です。
>憎しみの連鎖からは何も生まれないということです。
ここは同じ理屈を使いながら、次に結び付るのは飛躍し過ぎです。
>だからこそ、善意の第三者が公平な立場で介在し「加害者に被害者と同等のものを失わせるように制度ができた。」のですよ。
人類の知恵が、報復の連鎖を断ち切る形での「裁判制度を作り上げたのです。」
さっきは第三者の介入を否定したKさんがね...論理破綻してる...
>その制度では、裁判官は「被害者の思いを最大限に汲み上げて判断する」のが正当ですよね?
裁判官の過度の感情移入は公平性を担保出来ないものになります。故に「最大限に汲み上げる」と考えてはならないでしょう。
>まさか、加害者の人権を最大限に尊重すべきというような「死刑廃止論者」の言い分が正しいとは思えませんよね。
そんな事は言っていません。