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(回答先: Re: 神はその人の心に憑く「憑き物」です。 投稿者 日 日時 2008 年 12 月 03 日 22:49:06)
日さん どうもです。
どうも、最初に書いたように「これでは、感情を悪化させる口喧嘩にしかなり得ない」ようです。
ご紹介のリンクに至っては、「制作者の思いこみの主張がされているだけ」
そう考える人はいるのは理解も出来ますが、さしたる根拠もなく「断定する」なら、それは「小説・物語の世界」でしかない。
空想の産物を一つの仮説として、娯楽の意味で提供するのなら別に問題ではなく、多少の真実も含まれている可能性もないとは言いきれない。
しかし、それを「信じる」のは、思考停止の狂信者でしかない。
おつむで判断できずに、心で魅せられてしまう。
だから、振り込め詐欺が見抜けず、詐欺に引っかかってから、「全てを社会の責任と転嫁して憚らない」、その責の9割方は「本人にあるとの自覚もない」
小児癌の反応も「予想通り」
「前世」を出すのは流石に躊躇したようだけど、「親の因果が子に報いの類」の「解釈の強弁」という、否定の証明が出来ない事項に「全てを持ち込もうとする」
有耶無耶の世界に逃げを打つのは、宗教の常套手段であり、カルト集団が撲滅できない理由もここにある。
Kと日さんが出会えたのも、科学文明の所産である「インターネット」があればこそだったことも考慮せず、科学・医学を否定するのはご都合主義以外の何物でもないという至極当たり前のことも理解されないようで、その辺をよく考えた方が良いでしょう。
「第三者介入の裁判」における論理破綻の部分も予測通りです。
まあ、少女と中年の差によって、報復が変化する考察が出てきた点は評価できるとしても、それは「単なる感情論でしかない」
被害者が嫉妬深い女性であったときには「美しい女性への報復感情が高まる」ような事を男性の視点で強弁することに意味はない。
本人による「感情論だけに基づく復讐」では「無限の憎しみの連鎖」が発生するから、第三者が「冷静な判断で憎しみの連鎖を絶つ」こと自体はベストとまでは言えずともベターであり是認するしかない、しかし、第三者介在は「加害者に被害者と同等の損失を与える、もしくは損失の補填・弁償義務を課す」ことを基本とし、その事例が特異な例にあって、被害者心情が一般の事件とかけ離れている事例にあっては、被害者の心情を理解できる経験者が判断するのが望ましい。
どこにも矛盾はなく、論理破綻していない。
Kは殺人事件の第三者介在を否定しているのではなく「経験者に任せるのが妥当性を持つ」と主張しているだけで、「被害者・加害者は同等の損失を負うことが基本」と主張している。
これは、金銭などの損害を考えれば、当たり前の事だが、被害者の損害を、可能ならば加害者が全て賠償するのは当たり前という事を根拠にしている。
そんなことは、老若男女問わず(未成年は保護者が代行するとしても)、過失・故意にかかわらず、大原則と言える。
一例を示せば、交通事故、過失割合が100対0であるなら、100の割合の加害者は、0の被害者の修理費用を全て負担するのが当然であり、可愛い少女だからとか言って、そこをねじ曲げるなら、そちらの方が「狂気の世界」であり「大ばか者」となる。
これを、肉体的欠損に、そのまま当てはめるのは、多少の無理もあるだろうが、基本的には、延長線上で考えるしかないのではないですか?
目には目を、歯には歯を・・・
この理念は、現在でも「エセ人権主義というフィルター」を外して考察してみれば、正しいということが分かるはずです。