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(回答先: 思い違いなら、そこが新たな出発点となっても良いわけですが。 投稿者 日 日時 2008 年 12 月 02 日 23:55:06)
>日さん どうもです。
細部は、ともかくとして、ほぼ予想通りの展開になっていると認識しています。
日さんもご承知かと思いますが、Kは心霊方面の知識には「かなりの自信を持っています。」
子供の頃から不思議大好きであり、父親が撮った写真には「完全無欠の心霊写真」もあります。
学生時代は今はなき大陸書房の本を古本屋で見つけ歩き、八幡書店から「神道霊学」などの本を取り寄せ研究したこともあります。
以前にも「地球ロマン」の話をしたこともありますから、日さんが相当量の知識を有しているのは知っていますが、Kもそれほど劣るものではないでしょう。
【救われない御仁だと思いますがね。それとは真反対のものあります。 http://www.asyura2.com/0601/health12/msg/559.html
比較されて下さい。】
数日前に小児癌の話題が「クローズアップ現代」で取り上げられました。
癌だけではなく、病気というのは「医学」の分野であり、オカルト分野ではありません。
その人の生き方も心の持ち方も関係なく「小児」でも発生します。
驚異的な毒性を持つインフルエンザも死亡率は100%ということはほとんどありません。
100人が感染して、90%の致死率でも10人は生き残ります。
レアケースはどこにでもあるのです。
たまたま、その人は「癌から生還した。」としても、誤診だったかもしれないし、その人独自の体質だったかもしれないのです。
それが、「全ての人に当てはまる」という「思いこみ」こそが、結果的に詐欺をのさばらせるのです。
その点を、よく考えてください。
「その人は奇跡的に助かったという実例がある」というだけでは、何の証明にもなっていないのです。それを、他の人にも当てはめるためには、その状況が医学的に解析され、理屈が解明されなければ、「何の意味もない」のです。
「ガンを愛したら、ガンが治癒した」というのは「その人の主観でしかなく、検証できる根拠は何もない」ということは「少し考えれば分かるはずです。」
ここに至って、このような、非合理的な思いこみを出発点にして組み立てられた、「島流し案」は、事実上、意味を失ったと思っています。
>【この極刑では怒りが収まらないという人には、対面させ思い切り五六発も殴らせてあげます。力の無い人には竹刀を持たせて思いきり二三発。しかし殺さぬように。これでどうですかね?日も本来は気性が激しいので、その気持ちは理解出来ます。】
青春映画の感動的展開なら「それで、スッキリ」かもしれませんが、遺族は最愛の一人子供を殺されているというような場合もあるのです。
単なる「表層的な恨みを主張して、あわよくば賠償金をせしめよう」としているような輩なら、殴らせる価値もないでしょうがね・・・
>【被害者感情には上記で配慮したつもりですが、それでも足りないとする過度の被害者意識は第三者が冷静に断ち切るしかないです。】
日さんは、この主張を正当だと思っているのでしょうか?
なんで、自分の身内に被害を被っていない「第三者が冷静に断ち切る」のが正しいのです?
仮に、裁判員制度で決着を付けるのなら、「過去に、自分の最愛の身内を犯罪で失ったことのある、その事件には全く関係ない、別の犯罪被害者だけ」で判決を下してみればいいでしょう。
身内を殺された悲しみを実感として判断できるのは、経験者だけです。
それを「冷静な第三者」を介在させるということが、「加害者人権擁護」という「エセ人道主義の屁理屈」でしょう。
>【「島流し」でもいいですが、病巣の研究対象として生かすわけではありません。本人が自己と向き合う場を第一義としたものです。ですから本当に遠方からカメラで監視するだけ、医療援助も無く、生存の危機を目前に真から自己と向き合うのです。】
実は、Kはシンプル イズ ベストと繰り返し、主張し、「屁理屈付けて複雑化することの愚かさも注意深く説明した」と思うのですが、「この上記の理由」が、「何のためにここまで複雑化する(=理由が分からなくする)のだろう?」と、そこが一番不可解です。
「恐怖を与えるためではない」なら「抑止力向上」には繋がらない。
「犯罪の分析(病巣の研究対象と)もしない。」のなら、再発防止にも役立たない。
その上に「加害者の人権擁護」も考えていないと言い。
「大物犯罪者は奪還させて組織壊滅を目指す」とも言う。
すべてが、自分の都合の良いようにしか取ろうとしない「ご都合主義」でしょう。
その理由付けとして「神」とか「コンノケンイチ氏」とか「ガンからの生還者」というような科学的根拠が確認できないような「正体不明の存在を介在すようとする。」
>【>Kさんが仮定されたのは被告には悪意が無かった過失殺人です。その被害が如何に大きかろうと、それでは極刑対象にはなりません。】
これは、現在の法律上は正論ですね。日さんが「現在の法律が正常」と認定するのなら、この言い分は是認しますが、日さんの立場は「死刑制度廃止」と現行法に異を唱える方のものですよね?
日さんは、例えば、過失で相手の「腕を奪ってしまった場合」
「本当に済まないと思うのなら、あなたも同じ腕を失うのが妥当です。」と、それだけしか求めない相手被害者の言い分は「不当」だと思うのでしょうか?
故意、過失の差があり、判断は難しいでしょうが、Kは「全く悪意のない過失という行為において、相手に損失を与えた場合で、同等の等価要求を相手が主張するのは妥当」と考えています。
まして、悪意のある「故意」であるなら、殺人行為には「最大の残酷刑を与えるのが妥当(=等価プラスα)」と思っています。
それが、エセ人権主義者は「等価の罰をも不当とし、複雑化した屁理屈をばらまいて、見えなくして誤魔化そうとしている。」
>【複雑すぎて説明困難ですが、だからといって死刑を正当化し、納得することなど出来ません。】
ここに日さんの本音が出ています。
複雑に考えて自分自身をも誤魔化そうとしているのが分からないのでしょうか?
話は、少しも複雑ではありません。
「故意の悪意ある犯罪者には、最低限、被害者と同等のものを失わせるのが、当たり前」のことなのです。
>【「死には死を」は報復であり、それは争いの連鎖となります。】
司法制度の前の「仇討ち」は、その理屈によって禁止されました。
憎しみの連鎖からは何も生まれないということです。
だからこそ、善意の第三者が公平な立場で介在し「加害者に被害者と同等のものを失わせるように制度ができた。」のですよ。
人類の知恵が、報復の連鎖を断ち切る形での「裁判制度を作り上げたのです。」
その制度では、裁判官は「被害者の思いを最大限に汲み上げて判断する」のが正当ですよね?
まさか、加害者の人権を最大限に尊重すべきというような「死刑廃止論者」の言い分が正しいとは思えませんよね。
当たり前のことでしょう。