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(回答先: どうも、話が通じていませんか? 投稿者 考察者K 日時 2008 年 12 月 01 日 20:47:03)
>多分、今回の日さんの島流しのアイデアは斬新で画期的だろうと想像します。
まあ、現実的に実現可能かは別にして、代替え案としては「今までKが聞かされた内」では「最も、妥当で、効果が期待できそうな気もします。」
それはありがとうございます。
>しかし、斬新で画期的なアイデアなら、Kでも、作成は可能です。
死刑を超える恐怖の刑罰を考えるだけなら「相当数列挙出来ますし、それが実行。実現可能レベルで提示も可能です。」
???日の提案は死刑を超える恐怖の刑とは無縁ですよ。残虐行為とは真反対の、罪を病と見做す治療行為としての刑なのです。
ここは大きな誤解です。
>伝説上の話には「様々な地獄が伝えられており、そのバリエーションを紡ぐだけで、恐怖の対象は容易に思い付き、それに肉付けをすれば、良いわけです。」
>古来から、拷問は研究され、「穴を掘らせて掘り終わったら埋めさせる。」
これだけで、相当の精神的苦痛は生み出せるそうです。残酷か否かは判断者次第ですが、作業を続けなければ「飯抜き」なら飯を食うために「囚人は作業を続ける」しかないわけです。
>「人が、一人、やっと横になれる空間を暗闇に閉ざし、防音を完璧に行った場所に、閉じこめる」だけで、人は精神的に強力なストレスを生じさせます。
>人間は考える葦ですから、その気になれば「アイデア」は生まれるのです。
そんな残虐な発想を競っているわけではありませんし、それでは犯した罪の反省はさせられません。
病巣(犯罪者)を撤去したり、苦しめても、病理が改まらない限り、病巣は又生まれてしまうだけです。
>しかし、「死には死をもって報いる」以上のシンプルさは事実上困難です。
それは病巣を撤去するだけです。病理を埋伏の毒として残した社会を認めることになり、社会はやがてその毒で自ら滅ぶでしょう。
>仮に日さんが、仕事等で寝不足になり、居眠り運転で、通学中の児童を次々に跳ね飛ばし、数名を死なせ、遺族はもちろん、日本中の多くの人が、「死んでわびろ!!」と大合唱するような状況下で、日さんは持てる全ての財産を謝罪に費やしても償いきれないと判断したとして、それでも「死をもって報いるのは不当」と主張されるでしょうか?
その場合は死んで詫びろという社会の方が狂っているでしょう。そんな社会からはこちらから縁を切ります。日はサバイバーです。たとえ村八分にされても自前で生存しながら、被害者に出来得る限りの謝罪を一生かけて行なうでしょう。
>仮に、受け入れるというのなら、それが、全てです。一番分かりやすく、スッキリしています。
どれほど、斬新かつ合理的に見える案でも「このシンプルさは超えられない。」
シンプルさ?なんか話をすり替えていませんか?日は死刑制度に反対しているのであり、反対する以上対案があり、その代替案としての極刑を提出したのであり、比較するなら死刑との比較ではなく、提案した刑とは違う死刑に代わる極刑を提出すべきでしょう。
>一方、それでも、私は断固拒否すると主張されるでしょうか?
往生際が悪いと批判するつもりはありません。一生掛けて荊の道で償うというのも立派な選択です。
上記の通りです。
>しかし、Kなら死を選びます。
多分ですが、腹を切る文明を受け継いできた日本人の多くは「生き恥さらすよりは死を」と考えるでしょう。
これは、残酷とか先進的というような思考とは別の思考です。
それは残された被害者に対して無責任でしかありません。
>みんなでよってたかって「私刑による処刑」ではなく、多くの武士が自ら望んで死を受け入れたのも歴史上の事実なのです。
事実でもそれは誤りです。
>その点をご理解され、その上で、「島流し」というアイデアに頼ることなく、議論の継続を望まれるのでしょうか?
???これはアイディアではありません。写しですよ。神の。
>Kは「その人の超えられない一線」にはいどむ気はありません。
逆にKさんが超えようとしない一線が「神という概念の世界」なのではありませんか?
それこそがKさん自らの憑き物、或いは盲点なのかも知れませんよ。
>これで、心が微動だにしないのでしたら、議論は出来ないとも思っています。
同じ事を言いましょう。これでも神に対する考察や議論だけは拒否するというのであれば、日の打つ手はありません。
「忘れ物」のレスに関しては
>「無理を通せば、道理が引っ込む」だと思いますが、合理性を諭して道理を唱えても、無茶苦茶なゴリ押しに押し潰される事もあるということです。
ご教授に感謝です。そうでしたね(笑)
>基本的に合理的と道理は同じような意味ですから、これを無理に引っ込めさせるのは、詭弁・強弁・詐欺の類です。
確かにその通りです。表現が誤ったのでお詫びします。
ただ、Kさんとの以前の対話の流れで、日的にはこう言いたかったのです。
プラマイ比較で優先する結論を合理とするなら、道理はそれを超えて在る。ということです。