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精神論に傾倒する風潮というものがある。
「精神一到何事かならざらん。」というやつだが、実力行使には危険も伴う。
突き詰めていけば「戦争」も「テロ」も同じ穴のムジナだろうと思う。
Kは「戦争反対」であるが、これは「人の生命は大切だろう」と思うからだ。
人類は歴史が始まってから「血の抗争」を繰り返してきた。
可能であるなら、この辺で「暴力による問題解決」という歴史は終わらせるようにすべきだろう。(まあ、当面は無理だろう)
ある集団において「主観的価値観によって少数意見の価値観を否定する者」は、より大きな集団社会において「多数派の主観的価値観によって少数意見者としての意見を否定」されても仕方がないだろう。
ある集団において「価値感の違いによって他人への弾圧、イジメ、排除行為を容認する者」は、より巨大な集団社会の中で「価値感の違いによって、様々な人権侵害を受ける事を容認している」のと同じなのだろう。
精神論ではなく理論、主観ではなく客観性、数の暴力ではなく理知的な対話という方向で考察できる人を増やすと云うことでしか、本当の意味で「住みやすい社会は作れない」のだろうと思う。