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Re: 家族と国家とフェミニズム(つづき)
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投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 7 月 02 日 18:53:37:akCNZ5gcyRMTo
 

(回答先: 家族と国家とフェミニズム(つづき) あっしらさま 投稿者 律 日時 2004 年 7 月 02 日 08:24:17)

律さん はじめまして バルタン星人です

引用が一部前後します。
>わたしの考えではありませんが、伊田広行氏があげている表を示してみます。
>おもしろそうなら、他の方も巻き込んで議論するのも良いですが、そうでもないかも。

「おさそい」に乗って出てまいりました。私は危険思想といわれた「片方」ですが別に
変な「仲間意識」があるわけではありません。


>「男らしさ」                   「女らしさ」
>やさしくない・他人の気持ちに鈍感   やさしい・思いやりがある・人の気持ちに敏感

ジェンダーが身体性ではなく「文化的概念」であるということなら同意いたします。
しかし、「実母と一緒にヨメをいじめるマザコン男」にこの区分が有効か?という疑問が
あります。酔っ払ったリーマンのオヤジが「いやーウチはカアちゃんが強くて...、
頭上がんないよ」と言いながら実は少しも恐れていない、「オレが養ってやってるんだから」、
面倒なことはとりあえず避けるが文句を言われても殴れば黙ると思っている。ところが本人は
嘘をついているつもりは全くないわけです。


>国家と社会ということばを同列に置いているのが混乱の元かなと思っています。
>国家も社会も確かに抽象的な概念ではありますが、国家の持つ機能はある程度可視的
>なもので限定的な概念です。しかし、社会はより広い概念なので、いろいろな「社会」
>状態を含み込んでいると思います。もちろんどちらも実体ではないですが、それは「家族」
>また「個人」という概念も、実は実体ではないのと同じです。

別スレでも書いたのですが広松渉的関係主義で言えば「『人間の本質は社会的諸関係の総体』ならば、
人間は関係の束であり、具体的諸個人はその結節としてある」わけです。社会自体も共同体ですが
家族も含む無数の共同体に分節されています。共同体を「集合」と考えれば家族の一員である子ども
は小学校というクラスのメンバーである「1年2組」というクラス(面倒ですね)のメンバーでも
あるわけです。子どもはそのクラスという共同体のルールに従い、ふさわしい振る舞いをしなくては
いけません。「家ではご飯はお母さんが食べさせてくれた」などと言ってもダメでグズグズしている
と空腹のまま午後の授業を受けなければならないからです。
主婦である律さん(すいません、あくまでも例です。)はお姑さんが最近口を利いてくれない
のに悩みます。それは同居してなくても「血縁共同体」のメンバーだからです。ここで言っている
共同体とは経済的な贈与−互酬のシステムというより「あれ」とか「これ」といった極度に抽象的な
言語か身振り、手振り、顔つきなどの非言語的なコミュニュケーションが意味をもつ範囲のことです。
これらの共同体は不変なものでなくテクノロジー(携帯電話、インターネット)によって地理的、
空間的制限を受けず絶えず流動し再編成されています。


>個別の家族でできることは限られていますので、やはり困難だと思います。
>繰り返しになりますが、それゆえに、いきなり姿の見えない「国家」ではなくて、もうすこし単位の小さな顔が
>見ようと思えば見えるくらいの「中間集団の形成」が必要ではないかということを言いました。

内、外、中間というカテゴライズがそもそも成立しないのではないかと思います。


>わたしはあっしらさんと違って自分の意見に対して自信もないのですが、あえて強気で行きます。
>性差や人種、民族、宗教、階層などなどの問題を捨象した形で「支配−被支配関係構造」を解消できる
>と考えるのは夢想です。

「すべてをジェンダーでは語れないが、すべてをジェンダー抜きに語ることは出来ない」(by上野千鶴子)
ということであれば同意します。


>たとえば、男女雇用機会均等法に応じて、「総合職」「一般職」という風に性差に関わりない職域区分を
>もうけたけれども、けっきょく大部分は従来の男性・女性の区分と変わりないという状況になってしまったように。

男と同じ様に過労死するまで働くか、一人でも抵抗するかという問題になりますね。


>この辺のことは了解しています。事態としては日本も米国のような状況になっていくと思っています。
>フェミニズムの成果というよりも、経済論理の成果でしょうね。
>(この点に関する私の考え方は、熊沢誠さんに近いです。「性差」の論理より、「企業の論理」のほうが
>強いと思っています。


これには疑問があります。「ポスト・モダン社会」では事実上労働力としての「性差」は極めて小さくなって
います。(もちろん例外はありますが、生産現場でも「5Kg」以上は手で持ってはいけないというルールも
ありますし)男性社員を首にして女性のパートに差し替えてもなんら支障のない仕事は沢山あるはずです。
ところがそうなっていない。(スーパーや百貨店ではパートの女性に権限を与えて売り場の中間管理職を
整理するというのは始まっていますが)やはり「経済外的要因」があるのだと思いますがこのズレが埋めら
れないほどキツクなっています。

私の同居人の友人の女性で資格もスキルもある有能な人ですが、ある会計事務所にパートで勤めて
いたのですが「残業代を払ってください」と言ったところ「忙しいときには協力してくれないと。あなた
には特別眼をかけて他の人より高い自給を払っているのにがっかりした。もう来なくていい」と言われた
そうです。要は能力はそこそこで言うことだけ聞いて長時間「サービス残業」が出来る人間がよいという
ことでしょう。

>「ほとんど解消される」とは思えないなあ、ちょっと見通しが甘いんじゃないかなあ
>と言うのがこれまでの私の言い分でしたよね。でも、「そうでないばあいは、それに
>一点集中して問題を解消すれば」とおっしゃられるのですから、要するに力点の置き方
>の違いだろうとおもったわけです。ところで、「他者を“手段”や“客体”と考える意識」
>を変えるために「経済状況の改善」だけで足りるとお考えなのですか?
別スレで「「ポスト・モダン」に至るにはモダンの徹底が必要」と書いたらあっしらさんに、あっさり
とかわされてしまいましたが..
大変失礼かもしれませんが「ボーボワール世代」と田中美津、クリステヴァ世代との
パラダイム・チェンジを連想しました。(同居人は後者ですが)この話は長くなるので
とりあえず切ります。 ご容赦ください。

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