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(回答先: Re: 家族と国家とフェミニズム(つづき) 投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 7 月 02 日 18:53:37)
>別スレでも書いたのですが広松渉的関係主義で言えば「『人間の本質は社会的諸関係の総体』ならば、人間は関係の束であり、具体的諸個人はその結節としてある」わけです。社会自体も共同体ですが家族も含む無数の共同体に分節されています。共同体を「集合」と考えれば家族の一員である子どもは小学校というクラスのメンバーである「1年2組」というクラス(面倒ですね)のメンバーでもあるわけです。子どもはそのクラスという共同体のルールに従い、ふさわしい振る舞いをしなくてはいけません。「家ではご飯はお母さんが食べさせてくれた」などと言ってもダメでグズグズしていると空腹のまま午後の授業を受けなければならないからです。
>主婦である律さん(すいません、あくまでも例です。)はお姑さんが最近口を利いてくれない
のに悩みます。それは同居してなくても「血縁共同体」のメンバーだからです。ここで言っている共同体とは経済的な贈与−互酬のシステムというより「あれ」とか「これ」といった極度に抽象的な言語か身振り、手振り、顔つきなどの非言語的なコミュニュケーションが意味をもつ範囲のことです。
>これらの共同体は不変なものでなくテクノロジー(携帯電話、インターネット)によって地理的、空間的制限を受けず絶えず流動し再編成されています。
どうも、安積アナは見かけ通り、金スマのようなふざけた番組でやっていくのは非常につらいようです。テレビ番組には、押し付けがましい暴力性を感じますし、決して全ての番組を「面白い。正しい」として受け入れる事ができた訳ではありません。
ポルノや娯楽性のみのテレビ番組自体を否定するつもりはありませんが、ゆき過ぎた暴力を製作者が「それが世の中なんだよ!大人しく従えよ!嫌なら帰れ!」と開き直るとすれば視聴者の心を無視する製作者の横暴さには疑問を感じます。私達は「男らしさ」であれ、「女らしさ」であれ、なんらかの形で「らしさ」を演じる事は暴力的な形で強制されていると思うし、それを「世の中の掟だから仕方ない」とあきらめさせて従わせようとするテレビ・週刊誌マスコミのような価値観を正しいとする事はできません。つまり、一神教や共産圏どころか自由権の日本ですら、「らしさ」の共同体的強制はしばしば行われていて、様々な軋轢を起こしているのだと思います。しかも、自由権では、一神教や共産圏のように束縛を「決まり」として前面に押し出さずに、「社会というのはそういうもの」として妥協させようとする、より巧妙な暴力的強制力を持っているようです。一神教や共産圏などの独裁圏に見られるような「束縛」などあたかもなくて、「自由である我々には全く別世界の出来事である」かのように。
ある意味、一神教の教義の一部を孔子や釈迦が言った事に勝手にされても気付かない。イスラム教徒でなくても、仏教徒圏やキリスト教圏の男でも、ハーレムは作りたいと思う者はいっぱいいるだろうし、モルモン教も一夫多妻制らしい。ハーレムオットセイボス状態は多くの男のロマンなのでしょうか。