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(回答先: 安積アナは悩んでいるようですね。 投稿者 スパルタコス 日時 2004 年 7 月 02 日 21:57:07)
>一神教や共産圏どころか自由権の日本ですら、「らしさ」の共同体的強制はしばしば
>行われていて、様々な軋轢を起こしているのだと思います。しかも、自由権では、一神教
>や共産圏のように束縛を「決まり」として前面に押し出さずに、「社会というのはそうい
>うもの」として妥協させようとする、より巧妙な暴力的強制力を持っているようです。
>一神教や共産圏などの独裁圏に見られるような「束縛」などあたかもなくて、「自由で
>ある我々には全く別世界の出来事である」かのように。
例として引いた小学校の話ですが、私らの子どものころとか通約不能なことを言っても仕
方ありませんが、クラスに一人ぐらい授業中にキョロキョロして、消しゴム投げたり、バ
カ言ったりする「受け狙い」のお調子モノがいたと思うんです。授業が判らない寂しさを
紛らわしていたのかもしれません。ところが「学級崩壊」などと騒がれるようになってか
ら、そういう子は「普通じゃない」「病気じゃないか」といわれて
「学習障害児(ADHD)」という立派な名前までついてしまいました。
http://homepage2.nifty.com/koku/koramu-gakushuushougaiji.htm
ショウジョウバエだの遺伝子異常だの「似非科学」を動員して何をしようとしているのか
というと「こういう授業を妨害してみんなの迷惑になる『病人』な子どもは隔離するか
お注射しておとなしくしてもらおう」ということです。
関川夏央が書いていましたが「藤沢周平(たそがれ清兵衛)を読むとなぜ懐かしいのかと
いうと、あの世界は100年経っても社会構造が全く変わっていないから」であり所属する共同体は「藩」とか「長屋」とか「家」とか指で数えられるくらいしかなかった。どんなに
理不尽でもそのなかで規範に従っていれば生きていけたわけです。
いまはものすごい数でしかも日々再構築される共同体ごとにスイッチを切り替えるように
ふさわしい振る舞いができないと「あいつ変」「キモい」とか言われて「お注射」されて
しまうわけです。