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Re: ジェンダー、共同体、自由主義 
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投稿者 律 日時 2004 年 7 月 05 日 09:50:34:yVvnimQRLLslo
 

(回答先: ジェンダー、共同体、自由主義 >律さんへ 投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 7 月 04 日 12:33:55)

バルタン星人様。ありがとうございます。
不勉強な私にとっては、ちょっぴり難しいお話ですが、拝聴すべきところは拝聴し、ちょこっとだけ感想を。

バルタン星人様***********************
田中美津らの「リブ世代」は「なんで女だけが、やさしくしなくてはいけないのか」と思うから、そうした「俗情に結託した」言説にはとても乗れないし、「第一世代」が男性中心主義を裏返した「危険思想」だということも判ってしまった、「近代」を要求するけれど「近代」を批判しなくてはならない一人二役を演じなくてはならない「立場ならぬ立場」に立たなければならなくなったと思います。一意性に還元できない立場であることは重々承知の上なのに、外から「一刀両断」されたらかなり「ムカツク」だろうなとは推定します。「理解できる」などとは決して言いませんが(笑)
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そのような感じを持っています。私は「フェミニズムは終わったか」とか言われるようになってきてから「フェミニズム」を学んでいる世代なので、これまでのフェミニストたちが苦闘してきた道のりを本当に「理解」などできていないと思われますが、確かに「一意的に還元できない立場」なんですよね。それを簡単に要約してほしくないなあと直感的に思っています。「フェミニズム」の立場を取ることや、「ジェンダー」を語ることは、相当のジレンマにさいなまれることになる。それをわかっていながらの作業のはずなので・・・・

バルタン星人様********************
笑うに笑えない冗談ですが「女性でレズビアンでマイノリティでかつカラード(有色)が最強」の立場になってしまった。どこからも批判できないわけですから。しかしこれって「支配−被支配構造」をヘーゲル左派的にひっくり返しただけで構造自体はまったく変わっていない、「言説」と言えば聞こえは良いが波及力は全くないわけです。アメリカには本物の「知識人」はいるけど、スーザン・ソンタグを知っている人間なんか一握りしかいません。(その中の一人がにヘンリー・キッシンジャーですが)ですからそういう「垂直概念」を一旦バラバラにして水平に広げて、そのなかにあらためて「差異」を発見していこうとしか言えないと思っています。
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スーザン・ソンダクさんについては十分わかってなくて済みません。傍らで観る者さんが補足してくださっていてよかったです。たまたま、医療人類学との関わりも少し出てきたところなので、これから機会を見て勉強したいと思います。
でも、ここでおっしゃっていることはわかります。まったく皮肉な状況です・・・

ところで、質問ですが、「垂直概念」を一旦バラバラにして水平に広げるために、どのような方策があり得るのか、についてスーザン・ソンダクさんから学ぶことができるのでしょうか?


バルタン星人様********************
「この私」で言えば10歳?ぐらいで子どもとの「濃密な関係」は終わった、あるいは終わったという断念のもとで新しい関係を考えるしかなくなった、と考えます。親から子どもへは「一方的な贈与」です
が、私は幸いにしてある期間「濃密な関係」を持ちえた、そのことで「返礼」された、互酬が成立したと思っています。あとは「余剰」を噛み締めていくしかない。(笑)
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なんだかここを読んで、涙が出て止まりませんでした。
私は今、子どもとの「濃密な関係」のまっただ中におります。子どもがまだ子宮の中にいるときから、この新たな他者とできうるかぎり「幸福な」関係を築いていこうと思ったものです。どちらかといえば、親から子への「贈与」などたいしたことはなくって(贈与をしているというよりむしろ、勝手に生んでしまって済まないという気持ちの方が大きい)、子から受け取るものの多さに驚き、幸福を感じ、ちょっと真面目に考え出すとすぐに泣けてくるくらいで(今も泣きながら書いている)、これからどんどん子どもの世界が広がって行くであろうことを楽しみに思いながら、なんだか悲しく、寂しくも思ってしまう状態です。
すみません。すでに冷静でないのでわけがわかりません。
ただ、親子というのもまた、(すべてではなくとも)解体・変容していく関係であろうと思っています。当然ながら、夫婦も。だからあんまり「家族」ということを実体のように簡単にはいえないのです。


バルタン星人様********************
内部というものがあったとしても、それと関係なく外部はあり、文字とおり車という「交通」によって侵食され変容するものと思っています。
ダジャレの上塗りですが「道」とはまさに「他者が往来するところ」ですから。
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町内会の例、興味深かったです。イメージがよくわきました。
おっしゃるとおりで、「内部」とされる部分は常に「外部」から浸食され、変容していくものと感じられました。


バルタン星人様************
「みんなが同じように考えれば世の中は良くなるのに」という言説にはその「考え」の中身以前に生理的恐怖を覚えます。こうした考えは「世の中が悪いのは不心得者(不信心者)がいるからだ、説得してもだめならよそに行って(消えて)もらおう」と同義だからです。
カール・シュミットではありませんが例外状況において本質が露呈するとすれば国民国家はまず「外」に対して国家であり、内部に対して等質性を要求します。はじめに等質性ありきではないわけです。
別スレで「社会も共同体」として「集合」で説明しようとしましたが、社会は無数に分節された共同体と共同体の加算でもそれらの要約でもありません。その「あいだ」にあるもの「道」の様なものと思っています。非常に雑駁ですが「道」が途絶え共同体が自閉したときに内部に対する「同調圧力」が生まれ「差異」が「差別」になると思っています。
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十分に理解できたかわかりませんが、共同体が自閉したときに内部に対する『同調圧力』が生まれ、「差異」が「差別」になる、という過程は、イメージできるものです。

たまたまエホバの証人のことを知る機会があり、この過程のよい実例のように感じています。
神に従わないサタンの影響下にある人々が世の中を支配しているのでどんどん悪くなっているが、神の声に素直に従う人々(エホバの証人)は「神の裁き(ハルマゲドン)」の後にも生き残り、地上の楽園で永遠の命を得て楽しく暮らす、というものですが、基本的に「神に正しく従う人々」じゃないとエホバの証人として認められないので、互いにそうでないかどうか監視しあうような「同調圧力」が働いているようです。
しかし、この例はカリカチュアであって、私たちの現在生きている社会もこの図式とさして変わらないのではないかと思わされています。


バルタン聖人様**************
私の勘違いならよいのですが「叱った」と思われたならお詫びいたします。上野千鶴子は「逃げろ」と言っていますし。
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いえいえ、あっしら様とのやりとりをふと思い出してしまったのであって、バルタン星人様に叱られたと思ったわけではないです。誤解させてしまい、すみません。


バルタン聖人様*****************
たとえば納税後何割かを還付して(個人消費に当てるのではなく)DV被害者や自閉症児の家庭のケアを行っているNGOに寄付するなり、協同組合方式にして出資するなりします。全国レベル展開も可能かもしれませんが、まず「ある程度顔の見える」地域レベルが基本になるでしょう。スキルを磨いて自分で立ち上げても良いわけです。当然全くニーズのない活動、立ち上げ当初や信頼に足る活動をしなければ金は集まりません。いままでみたいに特にサラリーマンは天引きされてどこに消えたかわからないけど、とにかく政府におまかせ、権利だけ頂戴とはいかないわけです。何に、あるいはどこに寄付(出資)するか少なくとも一年に一回は真剣に考えるわけですし、身銭を切ったところへのシンパシーや少なくとも関心は維持しているはずです。当然寄付(出資)したことで発言権(議決権)を行使できるようにしますし、活動内容は透明性を要求されますが、きれい事ではすまない問題も生じるはずです。たとえば物凄く困っているが金がない依頼者には本人か身内に「体で払ってもらう」=労働の提供ですね。では身寄りのない老人の様に金も労働力も提供できない人はどうするかとか...
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このような取り組み案については聞いたことがあります。本人にコミットメント意識を持たせるような制度などについて考えることは、確かに希望のある考えで、考えてみるのは「楽しい」ですね。
お金だけではなく、労働の提供を介在させる制度としては、地域通貨などを作る地方自治体も出てきてるようですよね。うまくいっているところばかりではないのでしょうけれども・・・・
ベテルの家については、詳しくはありませんが、ちょっとだけ知る機会がありました。事情をよく知る人の話すところによると、主導者になった人の考え方、お人柄によるところもかなり大きく、また浦河のような地域でないと難しいところもあったのでは、などと聞きました。このような成功例から学ぶことは多いのだろうと思います。


バルタン聖人様*****************
あっしらさんの「経済的改善」について他人の私が推測するのは僭越至極ですが、「宗教ももちろんもろもろを含み込んだ意味での、何か非常に深い思想の力が必要」(by 網野善彦)であろうと勝手に思っています。
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わたしも理解は浅い者ながら、そのような印象を持っています。アホながら、一体どうするんだろう??という素朴な疑問があったのです。


バルタン聖人様********************
地元のオンブズの方に資料を見せていただいたのですが、地方時自体は、税収が減ってハコモノ行政への批判があるにもかかわらず「ナントカ改良事業」「ホニャらら地盤改良」とかなんのニーズがあって、いつ初めていつ終わるかサッパリ判らない土木工事に膨大な予算を申し送りでつぎ込んでいるわけです。これが「経済的改善」でさらに勢い付かれたら、たまったものじゃない(笑)
ですから納税者として「DV被害者のケアのために金を使え!」と要求するのは全然おっけーだと思います。さらに言えば「こういうことをやる(やっている)から金を出せ!」はもっとおっけーです。
確かに地方議員の4割はゼネコン関連の土建国家で、税金がボスに吸い上げられているわけですが(力点の置き方ですが)それが雇用を生み出して、消費を支えていることも事実です。一説によると公務員(と名の付くもの)公益法人等々の職員と家族だけで3000万人と言われています。行政改革と称して彼らを路頭に放り出しても「国内難民」になるだけで生活(たつき)の道などないわけです。
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現実的な問題として、すでに金の使い方の枠組みができていて、それに乗っかって暮らしている人々が無数にいるとなると・・・とかなんとか言っているとまったく構造は変わらないので、納税者としては有意義に金が使われるように要求していくことは、現段階での一つの有効な方向ですね。具体的でわかりやすく、勉強になります。
建設業界関係者の人々も疑似公務員(仕事がないときは講習会と称して、給与が与えられたり)と考えれば、もっと公的事業で生活を支えられている人は多くなるわけですよね。そうなると「ハコモノ行政」批判をするだけでは不足ということにもなり、産業構造自体を変えていくということが必要になるように思っています(知識不足ですが)。建設業者自体も農業をやったり、介護事業に参画したりするところも出てきているようですが。

なんだかとりとめもなく、印象論だけですみません。
大変勉強になりました。コメントありがとうございます。

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