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(回答先: ↑「サラエボでゴトーを待ちながら」とアメリカ的正義のつづき 投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 7 月 05 日 11:53:34)
バルタン星人さん、お早うございます。
丁寧なレスを頂き、ありがとうございます。
バルタン星人さんの3本のご投稿:
@ 「サラエボでゴトーを待ちながら」とアメリカ的正義
A ↑「サラエボでゴトーを待ちながら」とアメリカ的正義のつづき
B 「隠喩としての病」 と べてるの家
を拝見した上で、仰りたいことの核心は B にあるのではないかと思いました。そして、Bの内容には賛成です。
@とAは結局、ぎりぎりまで良心的にコミットしようとしたスーザン・ソンタグに比べれば、ずっと悪質だったり愚かだったりした他の「知識人」の、当時とその後の対応を引き合いに出すか、或いは、それより半世紀程前の日本の「知識人」のWWIIに対する対応を引き合いに出すかして、「テキストの問題」に集約し、過去のテキストを抹殺しないことの意味合いに言及して終わっています。
表現者の覚悟として、「生き恥を曝す」ことに臆してはいけない、ことに私も賛成しますが、「恥」の有無はここでの本質ではないと思います。
私からは、スーザン・ソンタグに代表されるような、ベトナム戦争に反対した「知識人」が、サラエボやコソボを始めとするユーゴ内戦では、なす術も無く欧米支配層に絡め取られたように見えます。
言い換えれば、欧米支配層もそれに呼応するアジアの支配層も、ベトナム敗戦から多くを学んで一層狡猾になり、一方の「知識人」は、ベトナム後の20年間に橋頭堡を崩され続けた、ということです。
9.11後のアフガン〜イラクと続く米国の攻撃は、スーザン・ソンタグに代表されるような「知識人」にとって、ベトナム程ではないにしろ、ある意味、分かりやすいものと言えます。
ところが、アフガン内戦(1980年代)やユーゴ内戦(1990年代)、更には、パール・ハーバーを含むWWII(1940年代)の仕掛けは、こうした「知識人」が太刀打ちするのに困難を極める程、巧妙だったと言えるのではないでしょうか。
「知識人」は、人道問題という「モラル」で対抗しようとするが故に、【アフガン内戦→ソ連崩壊→ベルリンの壁崩壊→ユーゴ内戦→ユ−ロ登場→EU憲法批准】の流れを、地政学的に読むことができないでいます。
アフガン内戦を仕掛けた歴代CIA長官のビデオ証言が繰り返し放送され、ロバート・スティネットの『真珠湾の真実』が出版されてもなお、「隠された今」を読み解くことは難しいのです。
そして、パレスチナとイラクに象徴される形で現在進行している事態についても、陽動的な戦争が起きていない地域では、欧米支配層やエージェントの巧妙さに「知識人」が絡め取られて、曖昧な不快感を適切に表現できずにいるように見えます。
そしてBに戻りますが、「先験的な正解」を求めるよりは、自分にとって切実な問題(個々人によって異なる)に関する「生き恥を曝す」表現活動を通じて「主体」的に「環境」に働きかけ、それに対するリアクションによって「環境」から働きかけられる、という「能動←→受動スパイラル」が大切だと思うものです。
抽象的に過ぎる言い方でごめんなさい。では。