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共産党員を自称する長壁さんが戦争版で『闘い終わって日が暮れて・・・』( http://www.asyura2.com/0311/war42/msg/1037.html )という投稿を行っている。
短い内容なので全文を引用する。
『 竹中殿、先に、有事法案に賛成した9割の民の声、「民主党が消費税賛成なんてしらなかった」「自民党が戦争賛成だとはしらなかった」イラクには人道支援に行くんでしょ」「劣化ウラン汚染なんて今初めて聞いた」という声声声・・・
こうした日本列島ゆでがえる現象の中で、先の選挙は決行されたのです。
共産党が、選挙直前これらを訴え、非常に手ごたえを感じ、自信をもったのも、日本の中の民度故なのだと、つくづく、感じいっております。
共産党だけがアホで、トロで、ゆで蛙であるわけがない。共産党だけが、まともになれるわけがない。共産党だけが、苛め抜かれ、ばかにされ、クソみそにいわれなければならない理由がない。 やはり、私は、日本列島に生息するゆで蛙すべてに自らの総括をもとめます。
茶の間のテレビは朝から、ゆでがえるが、湯につかり、そのフグのような面で、涎をたらしながら、料理にご満悦。
私は、つくづく、日本人に生まれ、日本人でいることが恥ずかしい。』
「どうでもいい存在」だと断じたのでほおっておきたいのだが、度を超えた内容なのでレスさせたもらう。
(これまでのやり取りがなかったり、共産党員でなければ、あれこれいうことはない)
>共産党だけがアホで、トロで、ゆで蛙であるわけがない。共産党だけが、まともにな
>れるわけがない。共産党だけが、苛め抜かれ、ばかにされ、クソみそにいわれなけれ
>ばならない理由がない。 やはり、私は、日本列島に生息するゆで蛙すべてに自らの
>総括をもとめます。
この一節ほど、共産党的政治主義者の愚昧を象徴するものはない。
「共産党だけがアホで、トロで、ゆで蛙であるわけがない」は、反戦平和+弱者保護を訴える共産党がその実現に向け実効的な力を少しでも増大させる選挙戦術を採らなかったが故に、「アホで、トロで、ゆで蛙」なのであって、そうでない政治勢力は別の視点で「アホで、トロで、ゆで蛙」であるが別問題である。
(社民党は身の丈に合った対応をしたと判断していることは既述)
反戦平和より私的経済利益を重視する政治勢力は、反戦平和のほうがより私的経済利益を増大させるのにそうしなかったときに「アホで、トロで、ゆで蛙」であり、私的経済利益を増大させる戦争に反対したときに「アホで、トロで、ゆで蛙」である。
国家による人殺しをしてまで豊かな生活を手に入れてなんになるのかという理念的な反発はひとまず呑み込んで考えて欲しい。
明治維新後幾多の戦争を遂行し、戦後も軍事活動を含む米国の対外政策に追随することで、現在の日本の経済レベルやナショナル・ミニマムは維持されている。
「大東亜戦争」も、煽られた気分に流されたとは言え、国民多数が支持した戦争である。豊かになるためであれば国家による人殺しもやむをえないという歴史を100年以上も続けてきたのが近代日本である。
共産党の政策を支持しないものはゆで蛙であり、共産党の政策に敵対するもの、とりわけ、反戦平和より私的経済利益を重視するものは“悪人”だと断罪する意識は、“強制収容所”政策まであと一歩である。
「共産党だけが、苛め抜かれ、ばかにされ、クソみそにいわれなければならない理由がない」も、これまでの説明で理由を見出すべきだ。
他者を道具化したり多数の人を殺戮する戦争を手段としてもいい思いをしたいという政治勢力は、政治権力から排撃する対象ではあっても、「苛め抜かれ、ばかにされ、クソみそにいわれなければならない」対象ではない。
反戦平和+弱者保護を訴えながら、それらがわずかなりとも実現できる政治活動を行なわず、敵対勢力を含む他者の責任に転嫁しているからこそ、共産党は「苛め抜かれ、ばかにされ、クソみそにいわれなければならない」のである。
「共産党だけが、まともになれるわけがない」には噴き出してしまった。
共産党は、我が党だけが科学的理論で現実と歴史を捉え正しい道筋を提示できると考えているはずである。
共産党だけではまともになれないというのなら、旗を降ろして解党すべきである。
信じているまともさが多くに受け入れられるかどうかは別として、まともだと信じる政治活動ができないのなら存在意義はない。
得票や獲得議席にこだわっている限り、「まともになれるわけがない」。
まわりから嘲笑されたり石もて追われようが、たとえ一人になろうともまともだと信じる政治活動を続けることができない政治勢力は、不要どころか阻害物である。
共産党がきちんとした現実認識能力があるのなら、共産党だけでまともになれるのである。
(共産党がまともではないとしたら、共産党がきちんとした現実認識能力をもっていないからであり、まわりがどうであれまともになることはできない)
「やはり、私は、日本列島に生息するゆで蛙すべてに自らの総括をもとめます」は、ゆで蛙論の撒き散らしはやめろと言ってきた私への反論だと受け止める。
“ゆで蛙”にもいろいろな“ゆで蛙”がいる。
※ 多くの人を“ゆで蛙”にしながら貪っている未来の“ゆで蛙”予備軍は対象外
● “ゆで蛙”になっていることを知らないまま、苦しみにもだえている蛙
● “ゆで蛙”になっていることを知らないまま、そこそこ楽しんでいる蛙
● “ゆで蛙”になっていることは知っているが、ゆで上がる前に寿命が尽きると思っていて精一杯今を生きている蛙
● “ゆで蛙”になっていることは知っているが、鍋から飛び出ると火の海などもっとひどいところに行き着くと思っている蛙
共産党を支持しない人たちのなかには、共産党が言う通りに鍋から飛び出るともっと酷い状況になると判断している人もいることを見逃してはならない。
(家族みんながつつましく楽しくという現状を“ゆで蛙”状態と言うのなら、共産党の政策はそれさえできない家族を増やしてしまうものである)
何より言いたいのは、“ゆで蛙”としてゆで上がってしまうとしても、個々の蛙の責任だということである。
利他的な長壁さんや共産党に通じるかどうかわからないが、人がひとを救済することなぞできないのである。
>私は、つくづく、日本人に生まれ、日本人でいることが恥ずかしい。
何人に生まれ、何人であれば恥ずかしくないのかわからないが、「私」も日本人なら、小泉氏も日本人である。
私は、私以外の日本人が小泉氏と同じ価値観を持っているとしても、日本人に生まれ日本人でいることを恥ずかしいとは思わない。
不遜にも、日本人を恥ずかしい存在と考えることができる長壁さんの思考過程も理解できない。
最後にもう一度、自分や共産党の考えを受け入れない人たちを“ゆで蛙”だと批判するのはやめなさい。
「ゆで蛙論」を説くのなら、鍋の外によりましな何があるかを示すことが最低の義務である。