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(回答先: Re: 真性スターリニスト 投稿者 蓼食う虫 日時 2003 年 11 月 20 日 17:53:34)
蓼食う虫さん、初めまして。
日々の暮らしの中で、誰もが自分に問いかける時があります。
生活に汲々としている自分とは何なのか。朝から夜まで精一杯働いている。
それなのに何故自分の暮らしはよくならないのか。
常にだれかに管理され、数字に追いまくられ、必死に生きている自分。
これが人生なのか。大人になるとはこういうことか。
今の自分、ちっぽけな虫けらのような存在・・・・。本当に人はこんな社会の中でしか
生きられないのか。もっと、額に汗して生きている人間が、真に報われ、豊かに生きられる。
ありあまる金で、豊かな生活を買い取るのではなく、生きていくことを喜びとし、
働くことを喜びとし、自分の幸福が直接他人の幸福と結びついているような社会。
そんな社会を求めることは夢物語なのだろうか、と。
共産主義とは、この人々の素朴な問から生まれました。
共産主義とは、たかだかマルクスやレーニンに始まるものではありません。マルクスやレーニンの主張が「共産主義」として確固たる位置を得たのは、日々を生きる無数の人々のつかの間の
夢想が前提となっています。彼らがなしたのは、その夢想に一定の形を付与しただけなのです。
それは、ある時は「二段階革命」「政治権力の暴力的奪取」、ある時は「議会制民主主義」を通じての「政治権力の奪取」という手段をとります。理論武装としては「マルクス主義」があり、社会変革を実行する中核となるのが前衛党としての「政党」です。(「日本共産党」と
は限りません)
いずれにしても政治権力の奪取を通じて、社会を変革するという点では変わりはありません。
人が、商品や金などという媒介物を介さずに、直接に関係しあいながら、より自由に、より
豊かに生きる社会。そんな社会を夢想する人々の想いが共産主義を生み出したと私は書きまし
た。そんな社会をつくるのに政治権力という強制力を使用すること。このことのバカバカしさ
はいくら強調してもしすぎではないでしょう。このバカバカしさは、党派性を産みだし、
カルト化し、他者を「愚か者」呼ばわりし、反戦を口にしながら「闘い」を呼びかけます。
組織政党の限界はここにあります。公明党に代表される組織政党の脅威論の愚劣さは
言うまでもないと思いますが、いかがでしょうか。
私は「共産党」に見向きもしない人が多いということは、逆にこの国の健全性を表したもの
であると思っています。
しかし、人々の中に「さらなる理想の社会」を求める心があるかぎり、いわば、人間が人間
であり続ける限り、共産主義という思想は、何度でも蘇ると思います。それが共産主義
と呼ばれているかは別問題ですが。
ついでに言えば、「国際金融家」諸君が何をたくらもうと、人間が人間として残っているならば何を恐れることがありましょう。そんなわけで、我が家は子沢山です。(笑)
お孫さんの時代を憂えることはありません。お孫さんが人として存在していればいいのです。
あとは彼らにまかせましょう。
そのために、あなたの今が問われます。同時に、私の今も問われます。
「未来を豊かに生きるためにこそ、今を豊かに生きねばなりません。」
PS.共産党員の方々は方向を見失った人々だと思います。
そっとしておいてはいかがでしょうか。されど、かの人々も、端緒は同じ問いかけを持った人なのです。その問の真摯さを私は疑いませんし、誠意をもって応えたいと思うばかりです。