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Re: 共産党員の自己変革について(2)
http://www.asyura2.com/0311/senkyo1/msg/692.html
投稿者 竹中半兵衛 日時 2003 年 11 月 22 日 17:50:01:0iYhrg5rK5QpI

(回答先: Re: 共産党員の自己変革について(1) 投稿者 竹中半兵衛 日時 2003 年 11 月 22 日 16:55:45)

蓼食う虫さん、冗長の連続ご迷惑おかけします。

上記レス(1)と重複している部分があるかも知れませんのではじめにおわび申し上げます。

私は共産党に所属したことはありませんから、内部問題は直接わかりませんが、その革命戦略やこれまでの日共の戦いの結果について、勉強不足なりに、今思っていることを私なりに書いて見ました。

日共の本質がたとえどんなに「ソ連」や「中共」「北朝鮮」などと毛色の違いをあげつらっても、それは外面だけのことで、思想的には共通しています。それゆえに日共はスターリン主義であるという認識を持っています。(これは現象論的なレベルですが。)

私は学生時代に一知半解ですがマルクス主義を勉強したこと、および日本共産党についてもその戦略や歴史も勉強した体験があります。この経験で今の日共を見ていますが、そのご30年以上にわたってやはりなんら日共は変わっていない。強いて変わったなと思うのは情勢の右傾化につれて共産党自体もさらに右傾化したなあ、議会主義が純化し、前面開花してきたなあというところです。

スターリン主義とはロシア革命でレーニン亡きあとのソビエト社会において、(共産主義社会ではない)ソ連を擁護するという大義名分でスターリンが権力を己に集中させ、マルクス主義とはあいいれない政治経済制度を確立しました。

マルクス・レーニンを標榜しても、内実はスターリンおよびソ連官僚の権力維持のために用利されただけで、たとえば労働ひとつとってみても資本主義では最悪の労働形態であるノルマ制労働(出来高払い賃金が支払われた)が強制されスターリニストによる収奪が行われた。社会主義社会では賃金は等量労働交換として支払われるべきものです。

第二次大戦の独ソ戦では、「ソ連の防衛」の名のもとの祖国防衛主義で、帝国主義諸国の労働者階級の解放(自国権力打倒)の戦いなど頭になく、ひたすらスターリンおよびその一派が生き残るためにのみ戦略が策定された。したがってファシズム諸国も含めた帝国主義権力者との癒着(不可侵条約締結)と瞞着(フィンランド侵略、不可侵条約の破棄)をくりかえし、国内の労働者はスターリンのもとの奴隷と化し、スターリングラードの戦いではスターリンはソ連軍兵士が捕虜となって戻ってきた兵士およびその家族は銃殺した。そして、この攻防戦では50万人の市民が犠牲となったという(これはNHKのBS1でこの8月に特集が組まれて、私も初めて知った。なお、この特集では、スターリンの崇拝する人物はマルクスやレーニンではなく、イワン雷帝だった、という。)

それゆえスターリンの命令には絶対服従が強制され、スターリンに抵抗するものは「ソ連の敵」とされ粛清された。スターリンがソ連そのものとされるほどに絶対的な権力者になった。これをスターリンに忠実なソ連クレムリン官僚が政治的にも経済的にも絶対化し、制度化し、学者・知識人を動員して学問的にも基礎付けた。

トロツキストということばがあるが、これも日本では日共によって「悪の代名詞」という意味をこめられて用いられていたのだが、スターリンによって、なんら根拠もなくトロツキーは帝国主義の手先だ、と烙印を押されたものをそのまま押し売りしてきたものである。日共にとって日共を批判するものは「トロ」「トロツキスト」と呼び、帝国主義の手先であり正義に対する悪魔のような印象を与える工夫がされた。

戦後の冷戦も、スターリンの戦略は基本的には「ソ連防衛」であり、周辺諸国を軍事的に占領して「人民民主主義国だ」などと「ソ連」の地理的拡大を行い、看板をつけさせたに過ぎません。

中共毛沢東も基本的には同一の根をもっていますが、こちらはゴリ・スターリニストで、革命論も政治・経済制度もスターリン以上にスターリン的(1953年にスターリンの死)権力機構が強く、労働者はゴルバチェフのような乞食外交とソ連の消滅を導くようなやりかたはみられませんが、やがて同じ轍を踏むことでしょう。

それゆえに日本の左翼知識人も1956年にフルシチョフによって本質的・全面的ではなく、ほんの一部スターリン批判が開始されるまでは、誰でもソ連を共産主義国(実質はエセ社会主義国)だと認識していた。ところがスターリン批判が開始されてすぐに同年にソ連の圧制に対してハンガリー自民が立ち上がったハンガリー革命(動乱ではない)が起こったが、ソ連はこれを軍事的に封圧、100万人もの人々を虐殺した。
ソ連に敵対するものは帝国主義の手先であり敵である、という理論はスターリン主義そのものであり、フルシチョフもスターリン主義者としての本性を現した。
これを中共毛沢東は、はじめ沈黙、のちにスターリン主義者としての目玉から支持した。
日本共産党は沈黙。左翼知識人もみな日共に右へならえ、で、いかに日共シンパがスターリン主義に汚染されていたかを物語っています。

これを受けて反スタ運動が芽生え、激しく日共を批判するようになった。日共は火炎瓶闘争の誤謬も、ハンガリー革命に対するソ連の弾圧への黙認も、日本の労働者階級をスターリン主義日共の鎖につなぎとどめようという欲求から、党内外からの日共の態度への批判をかわすために自主独立路線を強調するようになっただけです。

すると、日共は「共産党は一環して自主独立だった」と歴史を偽造する。歴史の偽造とマルクスやレーニンのテキストの内実の書き換えなど(翻訳を恣意的に変える−−−今は「共産党宣言」のどこかのパラグラフなり行なりを書き換えていたことを想起するのみですが)も行い、おのれを「正義の党」として絶対化して批判を圧殺する。このようなまやかしは共産主義とはまったく無縁です。

誤りをあきらかにせず、隠蔽し歴史を偽造するということは、官僚主義的な居直りであるとともに自己保身の術でしかない。ただこのためにのみ生きている、つまり官僚として党員を束縛してその上にあぐらをかきメシを食うだけの俗物である。したがって、思想的にもマルクス主義なんて形骸化し、これもマルクス主義と無縁のもの。

革命運動をおこなうものにとって誤謬や失敗はつきものですから相互批判し組織的に止揚するのが組織の生命です。これなくして存続した党派はないと思います。ところが日共は祖音からの批判には一切沈黙し、誠実さのひとかけらもないことをさらけ出したが、これがスターリニズムの本質なんですね。沈黙で乗り切るというのはイデオロギー闘争を拒否し誤謬をそのまま内在化させるわけです。これが積もり積もってゆくわけですから最後には破産しかありません。

その結果いつのまにか革命なんて共産党にとって無縁のことばとなり労働者階級の期待を裏切ってしまった。革命といえないものだから議会で平和的な革命(スターリンの二段階革命論を適用)という。プロレタリアート独裁といえないからズルケンは「労働者ジクタツーラ」などと表現を変える(70年代初頭)。これでも「アカだ」といわれて、これさえ捨てて最後にでてきたのが「民主連合政府」などというヌエ的な、実体のはっきりしない幻想を作り上げた。

こうなれば議席が獲得できると思ったのだろう。やがて存在しない民主連合政府が一人歩きをはじめ、すべては「民主連合政府になったあかつきには」というタラレバの世界が始まった。具体性がありそうで実はない、観念の世界のものでしかない。今にも実現しそうなことをいってきた、

しかしこの30年間で1000年たっても実現しないシロモノであることが明らかになった。そんなもの作れば即壊滅させられるということは歴史が証明している。

なのに、善良な市民はだまされ続け、それでも「よりまし」を強制される。「よりまし」は情勢が反動化するにつれ、その反動化した段階における「よりまし」でしかなくなり、最後にゆきつくところはハルマゲドン「よりまし」を国民は選択せねばならなくなる。自・公政権が「悪である」と規定する以上、「悪」よりましなんだから、常に「悪」が勝ち、消去法でゆけば善が先に消滅するではないか。一定の段階において「革命」の可能性が出来したとしても、日共は「革命はいいから議会で論じよう」とでも言うのだろうか?
その前に労働者を裏切り続けた結果として彼らは労働者階級から鉄槌を食らうだけだろうが。

そのときは警察に、己の過ちを最後まで総括することなく、従来どおり権力に庇護を求め「あいつら労働者は極左暴力集団だからつかまえてくれ」と訴えるのだろう。日共が権力の懐に60年安保以来入り込んで久しい。

このような戦略自体および制度まで含めてがスターリン主義的と言うもでです。嘘で嘘を固めて行く。虚偽の体系は完成と同時に破産しましたね。

議会主義に没頭していれば、世論が左傾化したときには得票数があがるでしょう。過去この体験にもとづいて経験主義的に革命戦術を議会闘争戦術に純化したのだといえます。今のようにマスコミがこぞって右傾化し、北朝鮮問題で反共宣伝を展開すれば、このような議会工作はすぐに破産することも、また自明の理です。

日共はマスコミ報道を気にしてマスコミ受けする政策を採ります。しかしマスコミの報道は意図的な世論誘導も行われていますが、「現象」論でしかありません。日共はこの「現象」の変動に非常に敏感に反応します。対応のしかたはゾウリ虫にも似て、紆余曲折したものです。

目の前の現象、すなわち議席の数の変動に直対応し、自分たちの戦略戦術を無節操に変えて行きます。現象の奥に存在する本質的な問題は、すでにマルクス主義さえ放棄しているのだから(改定綱領)、選挙に敗れても根源的な党の体質を問い直すことはない。彼らの認識方法では本質論へは到達しないのです。

このような思考方法は、現実認識に対してすぐに方針を出すことで、ま、浅いのです。これは実は現実認識の方法はすでに「民主連合政府」の幻想から天下った認識方法であるために、認識自体がゆがんでいることも確かです。すべて「民主連合政府」から基礎付けるという逆転した認識で、このことは恣意的な情勢分析につながります。

その結果として自分たちに都合のよい情勢については恣意的分析を行い、すぐに方針(民主連合政府)を出すという、鏡的反映論に裏打ちされた日共の方針提起が行われます。情勢分析がそのまま方針になってしまうという誤謬に陥るわけです。
情勢分析をマルクスの明らかにした学的体系にのっとって、現代的に適用するということはない。

これはスターリニスト(学者も含めて)のすべてに通じる問題です。ソ連も中共も他の「共産主義国」などといわれた「国家」、ユーロコミュニズムもそうです。マルクスを語るけれども一度もマルクス主義は実践されていない。その結果が第一次世界大戦を許し(第二インターに始まる祖国防衛シュギ)、第二次大戦を許し、東西冷戦を固定化し、最後にスターリン主義が反人民的であることに気づいた民衆がソ連圏を崩壊させた。やがて中共も同じ運命をたどるでしょう。一国二制度なんてまやかしが人民に通じるはずがない。権力関係にひずみが出れば労働者は決起するでしょう。

そして、ソ連・東欧の崩壊ののち、マルクス主義者の不在ゆえに、ロシアも東欧も、それ以前の「後進」資本主義に舞い戻ってしまった。

私にとっては痛苦な現実ですが、日共のこのときの態度は、己の標榜する看板「日本共産党」という党名への不安をかき消すように、「わが党は一貫して自主独立」を強調して無関心を装った。スターリン主義の誤りを真剣に掘り下げようとしない。掘り下げれば自らの存在を否定せねばならない。こうして居直りを図ることがスターリン主義だと言うのには気づかない。

すでにマルクスを排除した本質論として、くそ・レアリズムの「よりまし史観」にもとづく民主連合政府論が彼らの本質論にはある。そうであればマルクスが明らかにした労働者解放の論理など無縁である。だから彼らの組織対象は、「労働者」ではなく、常にマスコミなどの情報で左右にぶれる「市民」という抽象的な存在でしかない。それは労働者の配偶者や家族(かもしれない)としてのブルジョワ的「市民」の票ももらおうというだけの、乗り越えられた前衛の最後の手段としての「議会主義」、これが卑しい自己保存本能の表明でなくしてなんだろうか、と考える次第です。

なお、私は日共組織を株式会社に置き換えて捕らえたりします。

日共党組織を株式会社だととらえればよくわかります。実際今の日共はそういう状態にあるのではないか。社長(フワー議長)はワンマン、「党員」は持ち株会社の株主で、赤旗の販売実績で投資への見返りがある。顧客は「有権者」。出世も早いということになるのでしょう。企業はおおむね軍隊式統括でピラミッド社会。
それはすなわち企業と同じ官僚主義的組織統制が行われており、ワンマン社長牛耳る経営方針への絶対服従が強制されます。これに忠実なもの(ゴマスリ)が官僚機構の中で出世してゆく。したがって善良な党員や下部党員から出る不満や疑問はあってはならないわけで、下部官僚(係長)や中間官僚(課長)、上級官僚(部長)が握りつぶして行く。そこでようやく「党大会」など株主総会と同じでしゃんしゃんしゃんでさらりととどこおりなく進行する。これが赤旗で「綱領改定案が満場の拍手でもって支持された」など歯の浮くような自画自賛。
会社の経営方針に批判的な「やる気」のある社員は徐々に押しつぶされてゆくか、会社を去るしかない。あんまりさからうと「解雇するぞ」と脅迫か不当解雇。こういう人たちが反日共に流れるのもわかるが、どちらかというと権力サイトに移行するから、会社(日共)をやめたと同時に他社の社員(右翼)になったり、権力に情報売ったり(企業秘密持込)で、こっちが続出。宮崎学もその一人。
会社が巨大であると同時に会社は社員同士相互の意思疎通をさせているようで実はワンマン社長じきじきのスパイも飼っている。
経営幹部(役員、常務、専務、副社長)はワンマン社長の命令を忠実に実行し、会社の安泰とみずからの権益確保を図る。
もう議会主義なども『顧客サービス』がぐらいの位置づけのように見える。赤旗の購読が減少したかどうかはわからないが、顧客はそれでも減り続ける。国会での競争相手のライバル会社は社民党。議席が5や10では市場からネームバリューも消える。ほぼシェアゼロだ。
他の企業は吸収合併・同床異夢の合従連衡を繰り返し、提携先も見当たらない惨状。市場はどんどん奪われ一中小企業に転落。世をあげて海外進出(侵略・売国)ムードの中で、天皇制容認、自衛隊容認とアドバルーンをあげたが得すでに遅く、バスに乗り遅れてしまった。
こうなると顧客のことなんぞ頭から離れ、『民主連合政府』も空語化し、大義名分などもそっちのけの権力争いが始まる。

会社も内紛のうちに力を弱め、市場から消滅。
「議会主義」「民主連合政府」ってなんだっタンだ?


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(参考)本日朝日新聞でチラリと出たオンラインニュースをコピペしておきます。これはすぐになくなりました。

2003.11.22朝日新聞
http://www.asahi.com/international/update/1122/013.html
32年のNYタイムズ受賞取り消さず ピュリツァー賞委

 旧ソ連からの報道で32年にピュリツァー賞を受賞したニューヨーク・タイムズ特派員ウォルター・デュランティ記者(故人)が、スターリン政権下の暗部を意図的に報道しなかったとして賞の取り消しを求められていた問題で、同賞委員会は21日に会合を開き、同記者の賞を取り消さないことを決めた。

 同賞事務局(米コロンビア大学内)によれば、委員会は受賞の対象になった31年の13の記事を再検討した。その結果、現在の国際報道の水準からすれば評価の対象にすらならないと認めつつも、ソ連の暗部を報道しなかったことを意図的な欺瞞(ぎまん)だとする明確な証拠はないと判断した。

 さらに、現在とは異なる世界状況の下での受賞であり、当事者が全員死亡していることなどを勘案して不問に付した。

 賞の取り消しはウクライナ系米国人協会が求めていた。同協会によれば同記者は、32、33年にウクライナで進められた強制的な集団農場化の失敗で数百万人が餓死した出来事について、「餓死などない。そうした報道はどれも悪意に満ちた誇張だ」とソ連政府の情報をそのまま流していた。

 ウクライナ国会は飢餓から70年を節目に、「飢餓はソ連による虐殺」と宣言し、世界史上の悲劇として記憶させる運動に取り組んでいる。これに関し同賞委員会は「今回の判断は、おそるべき出来事の重大性を減じるものではない。スターリンによってもたらされた多くの死を悼む」と声明を発表した。 (11/22 11:37)


2003.11.22朝日新聞
http://www.asahi.com/international/update/1122/013.html
32年のNYタイムズ受賞取り消さず ピュリツァー賞委

 旧ソ連からの報道で32年にピュリツァー賞を受賞したニューヨーク・タイムズ特派員ウォルター・デュランティ記者(故人)が、スターリン政権下の暗部を意図的に報道しなかったとして賞の取り消しを求められていた問題で、同賞委員会は21日に会合を開き、同記者の賞を取り消さないことを決めた。

 同賞事務局(米コロンビア大学内)によれば、委員会は受賞の対象になった31年の13の記事を再検討した。その結果、現在の国際報道の水準からすれば評価の対象にすらならないと認めつつも、ソ連の暗部を報道しなかったことを意図的な欺瞞(ぎまん)だとする明確な証拠はないと判断した。

 さらに、現在とは異なる世界状況の下での受賞であり、当事者が全員死亡していることなどを勘案して不問に付した。

 賞の取り消しはウクライナ系米国人協会が求めていた。同協会によれば同記者は、32、33年にウクライナで進められた強制的な集団農場化の失敗で数百万人が餓死した出来事について、「餓死などない。そうした報道はどれも悪意に満ちた誇張だ」とソ連政府の情報をそのまま流していた。

 ウクライナ国会は飢餓から70年を節目に、「飢餓はソ連による虐殺」と宣言し、世界史上の悲劇として記憶させる運動に取り組んでいる。これに関し同賞委員会は「今回の判断は、おそるべき出来事の重大性を減じるものではない。スターリンによってもたらされた多くの死を悼む」と声明を発表した。 (11/22 11:37)

戦後の赤狩りで暴力革命路線をとって中共よりへ、「火炎瓶闘争が失敗した」といって中共(農村革命論)よりからソ連よりへ、しかしハンガリー革命でソ連の弾圧を黙認したがこれじゃどうもかっこうがつかぬというわけで「自主独立」。「革命」といえなくなったから民主連合政府…議会主義への純化、綱領の改定につぐ改定。
スターリン主義の日共はなぜそうなのか。
日共党組織を株式会社だととらえればよくわかります。実際今の日共はそういう状態にあるのではないか。社長(フワー議長)はワンマン、「党員」は持ち株会社の株主で、赤旗の販売実績で投資への見返りがある。顧客は「有権者」。出世も早いということになるのでしょう。企業はおおむね軍隊式統括でピラミッド社会。
それはすなわち企業と同じ官僚主義的組織統制が行われており、ワンマン社長牛耳る経営方針への絶対服従が強制されます。これに忠実なもの(ゴマスリ)が官僚機構の中で出世してゆく。したがって善良な党員や下部党員から出る不満や疑問はあってはならないわけで、下部官僚(係長)や中間官僚(課長)、上級官僚(部長)が握りつぶして行く。そこでようやく「党大会」など株主総会と同じでしゃんしゃんしゃんでさらりととどこおりなく進行する。これが赤旗で「綱領改定案が満場の拍手でもって支持された」など歯の浮くような自画自賛。
会社の経営方針に批判的な「やる気」のある社員は徐々に押しつぶされてゆくか、会社を去るしかない。あんまりさからうと「解雇するぞ」と脅迫か不当解雇。こういう人たちが反日共に流れるのもわかるが、どちらかというと権力サイトに移行するから、会社(日共)をやめたと同時に他社の社員(右翼)になったり、権力に情報売ったり(企業秘密持込)で、こっちが続出。宮崎学もその一人。
会社が巨大であると同時に会社は社員同士相互の意思疎通をさせているようで実はワンマン社長じきじきのスパイも飼っている。
経営幹部(役員、常務、専務、副社長)はワンマン社長の命令を忠実に実行し、会社の安泰とみずからの権益確保を図る。
もう議会主義なども『顧客サービス』がぐらいの位置づけのように見える。赤旗の購読が減少したかどうかはわからないが、顧客はそれでも減り続ける。国会での競争相手のライバル会社は社民党。議席が5や10では市場からネームバリューも消える。ほぼシェアゼロだ。
他の企業は吸収合併・同床異夢の合従連衡を繰り返し、提携先も見当たらない惨状。市場はどんどん奪われ一中小企業に転落。世をあげて海外進出(侵略・売国)ムードの中で、天皇制容認、自衛隊容認とアドバルーンをあげたが得すでに遅く、バスに乗り遅れてしまった。
こうなると顧客のことなんぞ頭から離れ、『民主連合政府』も空語化し、大義名分などもそっちのけの権力争いが始まる。
会社も内紛のうちに力を弱め、市場から消滅。
「議会主義」「民主連合政府」ってなんだっタンだ?


共産主義者としての自己変革とは、今、この日本においては、種々の戦いを通してみずからを共産主義者として鍛え上げてゆくかどうか、という実践的な立場にたつことだと思います。共産主義社会を実現することは階級の消滅を意味するわけで国家や民族問題も止揚された社会を作り上げることは言うまでもないのですが、この思想をもってみずからを日常生活においても、また運動の担い手としても貫徹することが問われます。

今良心的共産党員が存在するとするならば、それは全労連の運動を担う活動家でしょうが、マルクス主義を歪曲し、大衆をだまして権力掌握を図ることのみに汲々とするスターリニズムに汚染された自己の思想を洗いなおすことが自己変革だと思います。

共産党の標榜する議会主義も根底にはスターリニズムが根強く存在していることが伺えます。おさかべさんもこの限界は気づかないし、指摘しても理解できない。議席を多数とれば政権与党となって民主連合政府を今すぐにでも樹立できるような幻想に浸っていますが、これは30年以上も前からズルケンがばらまいてきたもので、いまだに実現せず、ひいては大量の議席減となり、民主連合政府構想が破産したことを証明しています。
それに気づかずに選挙結果から敗北が明らかなのに大衆をゆで蛙と罵倒することしかできないのは、自らが真摯に革命戦略を見直そうとしないためです。むしろ、共産党の矛盾を外部矛盾(大衆のゆで蛙化現象)にすりかえることによる自己疎外的乗り切りであり、ファシズムにも通じる恐ろしい論理です。


私は共産主義とは階級の消滅を意味すると捉えておりますので、共産主義運動とはこれを実現するための思想を実践することであり、実体的にはプロレタリアートとブルジョワジーの対立を解消することだと思います。
この、根源的に現代社会を規定している矛盾をプロレタリアとブルジョワの対立ととらえ、そしてこの概念的な表現が賃労働と資本の矛盾であるととらえることができ、止揚されねばならない課題です。それでは賃労働と資本の矛盾はどのように止揚するのか。
そのためには実体的な分析は社会情勢に照らし合わされながら分析されねばならないが、賃労働の実態は、労働者が己の労働力を提供することによってのみしか存在できない、しかも資本家には労働付加価値を奪われ、絶えず収奪されて、己の労働力が対価として支払われない、つまり疎外された労働であることが明らかにされねばない。結果としては労働者は労働付加価値は己のものではなくなることに気づく。
一方資本家は労働力を買うことによって、労働力発現の場としての工場に労働力を集約し、生産活動(商品の生産)を行う。ここでは資本家は労働者の生活賃金を支払ったあとの労働の剰余価値は資本家のものとして獲得する。資本家も利潤を生むための生産手段を再生産してゆくことなしには生きてはゆけない。資本を投入し蓄積し、絶えず労働力を使用して付加価値の高い生産物(商品)を生産する。
すなわち、より高い利潤を獲得するためには労働力を安価に抑えること、付加価値の高い商品を生産すること、このことなしには生産手段を再生産することは不可能である。
そして資本家同士の競争に打ち勝つためには生産手段の耐えざる革新が必要となるために、付加価値を高めることと労賃を安価に抑えることが個々の資本家には必要不可欠の問題となる。

こんなこと100年以上も前にマルクスが明らかにしたことであって、この資本主義社会の規定は基本的には変わっていない。
賃労働と資本の矛盾が存在する限り、労働者は資本家の鎖につながれた疎外労働を強制されるのである。それゆえ社会は階級社会であることになんら変わりはない。

ま、これは本質論的な問題なのだが、これが資本主義の再考発展段階としての国家独占資本主義のもとではなにかかわったのか?それでも変わらない。労働者にとっては事情は同じだ。この事情を理解する上でマルクス主義経済学が、世界中のスターリン主義諸派によって歪曲され、「マルクスは古い」などといわれるけれども、現実を分析してみると、基本的にはマルクスの時代における賃労働と資本の矛盾は変わっていない。
厳然と存在している。
なぜ多くの労働者が呻吟せざるを得ないのか。構造改革の名のもとに大勢の労働者が解雇されるのか。生活に絶望した人たちの鉄道自殺が増えているではないか。全国のどこかで「事故で・・線遅れる」と報道される記事はほとんどが鉄道自殺じゃないか。

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