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『四式中戦車』 http://www103.sakura.ne.jp/~key/army/j_tito.htm
生産数が2〜6両くらいらしい。
『正統派の世界 華麗! 五式中戦車』
http://www.warbirds.jp/kunimoto/type51/sub1.htm
こちらは未完成(とは言えほぼ完成状態)の車両が1台だけであったそうな。
戦車は自国で作れただけでもあの当時としてはたいしたものだと思います。
野戦では必ず戦車を用いなければならないというわけではなく、当時の日本陸軍は
戦車よりも重砲などを中心とした戦術を採用したということでしょう。戦車一台当た
りの費用は大変高いものですから、あのころの日本の国力ではやむをえないところだ
と思います。
また、戦車というものは必ずしも対戦車戦闘を念頭において使われるものではなく
、歩兵戦闘の補助・援護としての役割を考えれば必ずしも装甲の厚さとか砲の威力ば
かりを基準にその良し悪しを考えるべきではないと思います。
沖縄戦あたりでは日本戦車でも結構装甲や砲力が高水準なものが出てきていますし
、本土決戦用の戦車のなかには欧米のものと比べても遜色のないものが用意してあっ
たと記憶しています。
ノモンハン事件で、日本戦車が大戦直前のソ連戦車と会戦してボロ負けしたという
のは、ソ連側の大本営発表であったことが今は分かっています。実際は日本側の戦車
隊のほうが自分たちが被るよりもはるかに大きなダメージを敵戦車隊に与えていまし
た。あの戦争じたいが戦力消耗比率でみれば日本の大勝です。戦略上は、モンゴルに
おける自国の威勢を確立するというソ連側の政治的意図からすれば、敵は大本営発表
によって勝利したという側面もあります。
陸軍の戦闘機の「隼」は評判が悪いようですが、使用され始めた年代においては世
界的にみて特に水準が低かったわけではありませんし、戦争においては武器は性能よ
りも生産性とか配給速度が優先問題になるという側面もありますから、やはり当時の
日本の国力では隼の大量生産はやむを得なかったところでしょう。
また、陸軍は「疾風」や「五式戦」などの世界でもトップレベルの戦闘機を開発し
実戦投入しています。疾風は用兵のまずさや、「誉」エンジンの不調などによって十
分活躍できませんでしたが、きちんと製作された機体の性能は確かに高かったはずで
す。
生産の難しい誉エンジンにこだわったのは失敗だったかもしれませんが、当時の日
本陸軍が世界で最高水準のエンジンを作らねば敵の物量を克服して戦局を挽回するこ
とは難しいと判断したとしても無理からぬところです。
『旧日本陸軍川崎5式戦闘機T型乙(キ100-T乙)』
http://www.horae.dti.ne.jp/~foxone/home57.htm
ムスタングにひけをとらなかったという。
『中島 四式戦闘機「疾風」(キ84)』
http://www103.sakura.ne.jp/~key/ac/frank.htm
あの当時はどこの国も戦車などはひどく故障しやすかったと聞いたことがあります
し、アメリカ・ドイツ以外の国は今ほど品質管理のシステムは発達していなかったと
思います。陸軍の兵器開発とその実戦使用は、限られた工業力と時間で最新鋭のアメ
リカ軍と戦わねばならなかった事情のなかで行われたことを考慮して評価されねばな
りません。
故障が多かったことや新型戦闘機・戦車の生産数が少なかったことは、開戦までに
十分な経済成長を遂げる時間を与えられなかったことや、激しい空爆・潜水艦作戦の
ためであり、帝国陸軍の兵器開発能力の水準の低さゆえではないと思います。
旧日本陸軍の戦闘機や戦車は美しいものが多いと思います。私にはこちらのほうが
重要な問題かもしれません。