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(回答先: 陸軍的と海軍的 投稿者 書記長 日時 2003 年 11 月 04 日 16:37:39)
書記長、レスありがとうございます。
● 「北進論」=対ソ戦の妥当性
>それはどうでしょうか?歴史では、ソ連は日本軍の北進はないと判断したので、最強
>と言われたジューコフ将軍の極東軍団をモスクワに回して、モスクワ戦を勝利したと
>なっています。
ジューコフ将軍の極東軍団がモスクワ防衛線に割り当てられたのは、日本が対ソ戦に乗り出さないという日本の決定(7月2日御前会議)や関東軍の動静を受けてのものです。
日本軍が対ソ戦を開始できる時期は、気候条件から8月がぎりぎりのラインです。この時期を越せば日本軍が動かないことは自明でした。
(ジューコフ将軍のモスクワ防衛の指揮についたのは10月10日)
日本軍が対ソ戦に踏み切っていれば、モスクワ攻略に向かったドイツ機甲集団がてこずった精鋭部隊と戦うことになっていました。
そして、モスクワ攻略の失敗は、短期決戦が成功していないにも関わらず、11月になって開始したことが主因です。ジューコフ将軍の善戦はあるとしても、「冬将軍」で戦闘能力を低下させたドイツ軍には勝機がなかったのです。
(「バルバロッサ作戦」にはモスクワ攻略は含まれておらず、主目標であったレニングラード攻略が停滞するなかで、10月2日に「タイフーン作戦」として発動された)
>日本陸軍と関東軍が総力戦を仕掛けた場合に、100万程度のソ連軍がその侵攻をお
>さえられるでしょうか?一方ではドイツと戦いながら。瀬島龍三の話では、対戦車砲
>は結構性能もよく、それらは本格的会戦に備えて準備されていたということですが。
中国に100万近い部隊を送り込み泥沼の戦いを続け、仏印にも兵力を派遣していた日本軍が、どの程度の規模で「日本陸軍と関東軍が総力戦を仕掛け」ることができたというのでしょうか。
それこそ、生産を犠牲にする覚悟で青年・壮年を総動員しなければ、対ソ戦は発動できない状況でした。(錬度が低い部隊が多いということでもあります)
ドイツは、最強中央軍集団を中心に、北方軍集団・南方軍集団の合計10軍構成で300万将兵を「バルバロッサ作戦」に投入しています。
レニングラードに対してはフィンランド軍も参戦しています。
当時のドイツは、フランス及び東欧地域の占領によって資源を確保し、生産力は米国を上回る水準でした。
そのようなドイツ軍であっても、破竹の勢いは2ヶ月足らずで、その後は攻勢を保ちつつも膠着状態に陥っています。
対米英蘭戦は石油を中心とした資源確保を目的に決断されたものです。
連合艦隊が動けなくなってもかまわないという石油配分はできないでしょうから、独ソ戦に乗っかったかたちで対ソ戦を始めても、やがて、航空機も飛ばせず、戦車や牽引車輛も動かせないという状況に陥ったはずです。
そして、戦況が五分だったとしても、破壊された兵器の補充が思うに任せず、撤退を余儀なくされたはずです。
7月2日の御前会議で対ソ戦断念の決定をしたことは極めて賢明だったと思っています。
● 南進論
>大東亜共栄圏の理想からすればそれは正しい戦略でしょう。しかし、そこには対英米
>戦争を早期に戦わねばならないという巨大なリスクがあります。
中国での戦争を解決できない限り、資源問題で身動きできない状況にあったからこそ、対英蘭米との戦争を決断したのです。
大東亜共栄圏の理想ではなくとも、すぐに使える資源を確保するという絶対的な現実問題で対英蘭戦争(対米は受けて立つのであって仕掛けない)が国策となったのです。
シベリアに侵攻すれば、それこそ資源を浪費するだけで得るものはなかったのです。
>そして、後知恵かもしれませんが、アメリカによる「潜水艦作戦」という巨大な問題
>が発生します。植民地の現地勢力との共同作戦という戦後のソ連がとったような戦略
>は、大東亜戦争によって生じた新たなアジア地域の精神的・政治的・物質的状況が初
>めて可能にしたものです。それは、アメリカなどにクズ鉄と原油を止められてあと
>7ヶ月で近代社会として崩壊する段階の日本ではとりえない路線ですし、そうなる以
>前でも当時の国際環境では実現の難しい戦略ではなかったでしょうか。
「潜水艦作戦」は、長い輸送路(シーレーン)を確保しなければならない日本が不利になります。
だからこそ、米国との戦争はぎりぎりまで回避する構えを採らなければならなかったと思っています。(原油生産&石油精製地近くに艦隊や航空隊の基地を築き、地理的要衝となる島嶼に防御基地を築くことで、米国が戦争ではなく外交交渉で解決を計らざるを得ないようにしなければなりません。そのためにも、シナ事変の解決が必要だったのです。それは同時に、米英蘭の対日攻撃の名分・大義を失わせることでもあります)
あの状況で、自らが米国に戦争を仕掛けるのは最大の愚策です。
「植民地の現地勢力との共同作戦という戦後のソ連がとったような戦略は、大東亜戦争によって生じた新たなアジア地域の精神的・政治的・物質的状況が初めて可能にしたもの」だから、大東亜戦争でそのような戦略が採れないという見方は、日本の統治力やアジア諸国諸地域を軽く見過ぎていると思われます。
(大東亜戦争戦後すぐに起きた独立闘争を見れば、そのわずか数年前のアジアの人たちが精神的・政治的・物質的準備がなかったとは言えないはずです)
そして、別に、日本軍とともに武器を持って戦ってもらう必要もありません。
米国がフィリピンに約束していたように戦争終結後の独立を約束し、民生が安定する政策をとれば十分です。
● 陸海軍の作戦統合
お気持ちはわかりますが、膨大な国費を投じて作り上げた枢要軍事機構を国策遂行のために統合できない国家が対米英戦争に踏み切ること自体、無謀で愚かなことだと思います。