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(回答先: Re: 評価の基準 投稿者 戦争屋は嫌いだ 日時 2003 年 11 月 03 日 09:07:46)
戦争屋は嫌いださん、書記長さん、素晴らしい空中の舞です。
美しく飛ぶものを追うのは私の性。急上昇で参加させていただきます。
とは言え、マルハナバチという名から連想する搭乗機は鍾馗でしょうか、せめて飛燕ぐらいに搭乗したい。
美しさで思い出すのは、私の場合航研機なのです。
http://www7.ocn.ne.jp/~tanken/koukukagaku/veedol5.html
http://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/img-photo/kkn-phot.html
太平洋横断を成し遂げたべランカ・ミス・ビードル号から7年後にこのような飛行機を開発し得た当時の航空技術者の力量と志気
の高さに驚嘆を憶えます。ご存知のようにビードル号はあの太った胴体に無理やり燃料を搭載し、離陸後は主車輪を解き捨てて、
無理やり横断して行きました。これはいかにもアメリカ的です。
http://www7.ocn.ne.jp/~tanken/koukukagaku/veedol2.html
航研機は長距離飛行という目的のためにコクピットを胴体に埋めてしまいましたが、結果的には純粋飛翔体のイデアを美しく表現
した形を見せてくれていると想っています。この機の操縦士の技量も離着陸時の困難を考えるとたいしたものです。
この機体を設計したのがYS−11設計者の木村秀政さんです。この方は「美しいものを造れ」という、イデア空間での知力の定位
感覚をお持ちであったようです。秩序の生まれを待ちながらも、諸観念とイメージで混沌とした頭脳の場の中から、理論的にも整合した「形」を導き出すのは直感しかありません。この頭脳の場で形を見出す力は、工業生産現場の職人の修辞的な作り方とは異なると考えられます。
前者は、目的合理的に未来に向けて形を追求する中からのデザインであり、後者は自らが過去に蓄積したイメージに依拠した中
からのデザインではないでしょうか。後者には、新しい技術を形の中に表現しようとする時の、現場職人的な苦闘とノスタルジックな解法がにじみ出ています。
宮崎監督のアニメの中に漂うノスタルジックな雰囲気と未来性の混交する情景は、人間性を越えたイデアの空間から出て、我々自身の環境や正存を脅かしかねない科学技術を、身近な匂いのある領域の中に引きとどめておきたいという願望を感じます。
そして、振り返ると、今では航研機のデザイン自体がノスタルジーの領域に入ってしまったようです。
それにしても、美とは不思議なものです。