現在地 HOME > 掲示板 > 議論15 > 338.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: Re: 帝国陸軍の兵器開発について 投稿者 戦争屋は嫌いだ 日時 2003 年 11 月 01 日 19:37:54)
>陸軍の戦車は上記4式/5式を例外として、ドイツ(特にパンテルは史上最高の設計美の声
>価が高い)・ソ連(Tー33)などの戦車と比べてお世辞にも美しかったとはいえないので
>は?
『戦車(日本)』http://combat1.hp.infoseek.co.jp/SENSHA2J.htm
『日本の戦車 実車写真館』http://muwsan.hp.infoseek.co.jp/tankphoto_gallery.htm
そうですかねえ。大正ロマンの面白いところは当時の日本社会が独立した伝統的文明社会と
しての立場を維持しつつ、試行錯誤的に西欧近代文明を取り入れていったところにあると思う
のですよ。大正末期ともなれば、欧化政策である「文明開化」も神道原理主義の普及版として
の「皇国史観」も一応日本社会に定着して、不安定ながらもそれゆえに創造的でもあったユニ
ークな文明体制が成立していました。
東洋の孤島のある文明とそこに住む人間たちが「欧米の近代」と格闘していく過程で生み出
していった工業製品として日本戦車を眺めると、それは形も含めてますます興味深いものにな
ります。あの剥き出しのビョウもなかなか味のあるものです。
戦闘機に関して言えば旧日本軍のはカッコいいですよ。ドイツやアメリカの戦闘機の方がカ
ッコいいというならば、それは個人的な趣味の問題でしょう。プラモデルなんかで戦闘機の良
し悪しを比較判断する人には、性能も無視してアメリカ的に新しそうな形態の方を高く評価す
る人がいます。私はドイツやアメリカの工業製品のアートスタイルに兵器の美の基準を置くよ
うなことはしません。
ノモンハン事件に関していえば、ソ連崩壊後は新しい資料が出てきているとよく話題になり
ます。
「ただし、当たらないことにはどうにもなりません。まず、ソ連戦車は、走行射撃が出来ませんでした。日本軍は勿論出来ました。ノモンハン戦には、日本軍は戦車を100両ほどしか動員していませんで、1500両近くを動員したソ連軍に圧迫されたのは事実です。戦車同士の戦いは数回しかなかったのですが、日本戦車には被害ゼロ、ソ連戦車破壊66両、というのが実際に起った結果でした。
では、どうして800両もの戦車を破壊したのかというと、その主力は速射砲でした。1000メートル以内ですと、ほぼ100発百中で、面白いように命中炎上したそうです。次に活躍したのがご存知、火炎瓶です。轟々と走ってきた戦車は過熱状態ですので、これが面白いように効果があり、炎上したことが記されています。ソ連の戦車と歩兵の連携が悪く、また戦車の機関銃射撃の動きが鈍いため、接近して火炎瓶をぶつけることが面白いようにできたと書かれています。次に、圧倒的に優勢な飛行機による攻撃。高射砲でも戦車を随分やっつけた記録があります。勿論各種の砲による破壊も多数ありました。日本軍は、100両のうち、29両が破壊され、内17両は修理不可能でした。」
というようなことが、世界出版社長・茂木弘道氏によれば「ノモンハン事件の真相と戦果-
ソ連撃破の記録」(小田洋太郎・田端元著)(有朋書院)には書かれているそうです。