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最大多数の最大幸福さん:『「開かれた地域共同体社会」における人々の欲望の最適コントロールが出来る、”協働の設計”とは?』
( http://www.asyura2.com/0311/dispute15/msg/1064.html )
あっしら:『「開かれた地域共同体」における欲望の社会的コントロール方法』
( http://www.asyura2.com/0311/dispute15/msg/1069.html )
最大多数の最大幸福さん:『「開かれた地域共同体」社会を支える価値観やシステム』
( http://www.asyura2.com/0311/dispute15/msg/1083.html )
に続くものです。
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最大多数の最大幸福さん、レスありがとうございます。
>ただ、それには、やはり価値観の変革と精緻な「システム設計」が必要でしょうね。
価値観の変革というより、かつての日本の農村共同体の価値観のように、思わず知らずのうちに価値観が変化することが重要だと考えています。
もちろん、意識的な働きかけが不可欠ですが、それを理念や理論というかたちで受け入れるのではなく、日々の生活をちょっと違うように解釈することで納得できる現実条件が必要だと思っています。
その第一歩が国民経済主義に基づく国家社会での生活だと思っています。
そうであれば、「システム設計」もうまくいきます。
また、「開かれた地域共同体」は、効率性第一を宗とするわけではないので、今風の合理的「システム設計」は不要だと考えています。
>本来は生きていくために最低限必要と思われる知識なのに、貨幣経済にどっぷりつ
>かってしまっている現在ではそんなことを考えたこともないという人が、ほとんどな
>のではないでしょうか?
そう思っています。
しかし、“超”自由主義者であるハイエクがいみじくも語っているように、人々は自然と社会主義(相互扶助的共同体主義)に向かうと思っています。
(それが根源的に合理的な社会(人々の関係的活動性)だからです)
変わるときにはびっくりするほど早く動くと思っています。
>(わたしも阿修羅で、あっしらさんの投稿を読むまでは、そうでした)
そういう方が一人でも増えることが無上の喜びです。
なぜなら、それが自分の快楽につながると思っているからです。
>あと、比較的人の嫌がる仕事をする人には、多くの稼ぎを与えるか少ない労働時間を
>認めることです。
>活動質×活動量=実現できる欲望量 というイメージが、ストレートに反映すること
>が重要だと思います。
同意です。
遺体焼却など忌避されがちでありながら必要不可欠な活動がけっこうあります。
人の嫌がる仕事はひと任せではなく自分や家族でやる方向が望ましいとは思っていますが、活動質×活動量=実現できる欲望量というご提示の考え方で調整する必要もあると思います。
また、一人一人の共同体的活動は、固定化されたものではなく、できるだけバラエティに富んでいるほうがいいと考えています。
(自分自身がいろんなことをやりたいからです)
比較的人の嫌がる仕事は、輪番的に分かち合ってこなすということになるかもしれません。
>全員が土地使用料を払う側に回ることによって、その土地使用料も、現在とは比べも
>のにならないほど低廉なものになると考えています。
>あっしらさんは、そのあたりに関しては、どのようにお考えでしょうか?
土地は、住居用及び“均田制”用のものと共同体的活動用に区分されると考えています。
住居用は、基礎(最悪)の土地は無償で利用でき、引きが強いいい条件の土地は引きの度合いにより付加利用料が課せられるというかたちが望ましいと考えています。
自分及び家族の食糧を生産するための“均田制”用土地も、基礎(最悪)は無償で利用(義務的利用)でき、いい条件の土地は付加利用料が課せられるかたちだと思っていますが、実体としての“均田制”(土地のリアルな配分と占有)になるのか、論理的な“均田制”(土地の持分保証)になるのかは、その時点での判断だと思っています。
論理的な“均田制”であれば、実際の運用は共同体的活動用の土地と同じになります。
(どうしても実体としての“均田制”を望む人や家族にはそれを実現すべきだと思っています。それこそが奴隷からの離脱だと考えているからです)
共同体的活動用の土地は当然すべて無償です。
※ 現在の住居用私有地は、それなりの年月と代替わりを通じて「開かれた地域共同体」にふさわしいかたちに変えていけばいいと思っています。