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(回答先: 価値観問題や「開かれた共同体」の仕事や土地について 投稿者 あっしら 日時 2003 年 12 月 26 日 19:40:30)
あっしら様、こんばんは。
下の記述の中で、“活動質×活動量=実現できる欲望量”といった表現があります。
一読すると分かったような記述ですが、細かく検討すると分からないことばかりです、私には。
ここで言う
・質とは何で計るのですか?(まさかマーケットメカニズム?)
・量とは何で計るのですか?(まさか労働時間?)
・そして“実現できる欲望量”とは何?
自分の欲する欲望量以上に活動(質あるいは量の、もしくは両方の面で)してしまう人の存在はどうするのですか?
「人間は自分に必要な分しか欲望しない」と言うのは絵空事に思えます。
人間は本能の壊れた動物です(岸田秀)。本能どおり、つまり自然の循環の中に無理なく溶け込んで生きていける存在ではありません。
自身の生存と種の再生産に必要なもの以上の過剰な欲望を持つことこそ人間の証です。
『人間が不可避的に持たざるを得ない過剰な欲望をどうやって制御するか?』
これに対する回答なくして、“開かれた地域共同体”であろうがなんであろうが、長続きはしないと思います。
人間(あるいは人間社会)は時間がかかっても結局は合理的な答えに到達するという、人間総体に対する無条件な信頼が伺えます。
私には、周りを見渡して、いや自分の内面に照らして、そのようなことは信じられません。
聖人君子以外の、過剰な欲望を抱き、愚かな判断しかできない99.9999%の人間の群れが破滅への道をたどらないようにどのように統治するのか?
“開かれた地域共同体”理論の中で一番知りたいところです。
愚問なら、無視してください。
>>あと、比較的人の嫌がる仕事をする人には、多くの稼ぎを与えるか少ない労働時間を
>>認めることです。
>>活動質×活動量=実現できる欲望量 というイメージが、ストレートに反映すること
>>が重要だと思います。
>
>同意です。
>
>遺体焼却など忌避されがちでありながら必要不可欠な活動がけっこうあります。
>人の嫌がる仕事はひと任せではなく自分や家族でやる方向が望ましいとは思っています>が、活動質×活動量=実現できる欲望量というご提示の考え方で調整する必要もあると>思います。