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(回答先: 単純な質問で失礼 投稿者 まさちゃん 日時 2003 年 12 月 26 日 20:18:07)
まさちゃん、レスありがとうございます。
>下の記述の中で、“活動質×活動量=実現できる欲望量”といった表現があります。
>一読すると分かったような記述ですが、細かく検討すると分からないことばかりです、
>私には。
>ここで言う
>・質とは何で計るのですか?(まさかマーケットメカニズム?)
>・量とは何で計るのですか?(まさか労働時間?)
>・そして“実現できる欲望量”とは何?
最大多数の最大幸福さんが提示されたものなので、最大多数の最大幸福さんとは解釈が違うかもしれませんが、次のように考えています。
活動質:やりたくない人が多い仕事ほど質が高くなります。判断はまさかのマーケットメカニズムに近いものです。どうしてもやりたくない仕事は無償で行う輪番の強制的割り当てになるかもしれません。
活動量:まさかの労働時間です
実現できる欲望量:財やサービスが購入できる活動証書の量です
>自分の欲する欲望量以上に活動(質あるいは量の、もしくは両方の面で)してしまう
>人の存在はどうするのですか?
>「人間は自分に必要な分しか欲望しない」と言うのは絵空事に思えます。
「必要な分しか欲望しない」という観点で説明したものはないつもりです。
欲望を充足できる手段を獲得してその範囲で欲望を充足するという考えがベースです。
その制約を超えて欲望を充足させようとした振る舞いは、度合いに応じて罰を食らうことになると思っています、
「自分の欲する欲望量以上に活動(質あるいは量の、もしくは両方の面で)してしまう
人」は、活動証書を他者に贈与しない限り、共同体的活動成果から見たときは無駄なことをしたということになります。(交換が十全に行われないからです)
その後、無駄な活動は調整が行われるはずです。
しかし、自分は楽しい活動時間を過ごしたからそれでいいのだと思う人もいるはずです。