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(回答先: 価値観問題や「開かれた共同体」の仕事や土地について 投稿者 あっしら 日時 2003 年 12 月 26 日 19:40:30)
あっしら様、最大多数の最大幸福様、こんにちは。
あっしら様の下記の投稿で、2つの合理主義が語られています。
1つは前半に出てくる“今風の合理的「システム設計」”、
もう1つは後半に出てくる“根源的に合理的な社会”です。
この“今風の合理的”と“根源的に合理的”の間にはどのような違いがあるのでしょうか?
さらに、最後に“人々は自然と社会主義(相互扶助的共同体主義)に向かうと思っています。”とあるように、
あっしら様には、人間(あるいは人間社会)は時間がかかっても結局は合理的な答えに到達するという、人間総体に対する無条件な信頼感が伺えます。
しかし、私には、周りを見渡して、いや自分の内面に照らして、そのようなことは信じられません。
それとも、世界史は世界精神の自己実現過程であって(ヘーゲル)、
あたかも自然史的過程のごとく人間の経済関係は最終的に社会主義(相互扶助的共同体主義)に到達して(マルクス)、
歴史は終焉する(ヘーゲル、フランシス・フクヤマ)とお考えなのでしょうか?
岸田秀を持ち出すわけではありませんが、人間は、ある意味、本能の壊れた動物であって、
本能のプログラムどおり、自然の循環の中に無理なく溶け込んで生きていける存在ではありません。
自身の生存と種の再生産に必要なもの以上の過剰な欲望を持つ(そしてそれが意識の根源になる)ことこそ人間の証です。
『人間が不可避的に持たざるを得ない過剰な欲望をどうやって制御するか?』
これに対する回答なくして、“開かれた地域共同体”であろうがなんであろうが、長続きはしないと思います。
(ちなみに、現在社会は、途中経過はいろいろあれど、最終的には自然への過剰な負荷(平たく言えば自然環境破壊)によって過剰な欲望は処理されています。)
聖人君子以外の、過剰な欲望を抱き、愚かな判断しかできない99.9999%の人間の群れが破滅への道をたどらないようにどのように統治するのか?
“開かれた地域共同体”理論の中で私が一番知りたいのは統治論です。
““国家”がどのような存在になるかは、短中期的には存続するだろうが、その意義や役割は減少するというものです。”とあるように、
あっしら様のお考えでは、政府や統治機構の役目は現在よりも軽くなるはずとのお考えですが、一体その根拠は何でしょうか?
良いお年をお迎えください。
>そうであれば、「システム設計」もうまくいきます。
>また、「開かれた地域共同体」は、効率性第一を宗とするわけではないので、今風の合理的「システム設計」は不要だと考えています。
>
>>本来は生きていくために最低限必要と思われる知識なのに、貨幣経済にどっぷりつ
>>かってしまっている現在ではそんなことを考えたこともないという人が、ほとんどな
>>のではないでしょうか?
>
>そう思っています。
>しかし、“超”自由主義者であるハイエクがいみじくも語っているように、人々は自然と社会主義(相互扶助的共同体主義)に向かうと思っています。
>(それが根源的に合理的な社会(人々の関係的活動性)だからです)