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はまちさん。 ご教示ありがとうございます。
(自爆テロと呼ばれる行為は、被害の対象になるであろう人は、実際に、テロを実行しようとしている人に襲い掛かっていないでしょうが、被害になるであろう人が組織上、侵略者側にいるとしたら、その人個人が、反戦を唱えようが、反イスラエルを掲げても、その場にいる。つまり、侵略者側の庇護にある。という理由で、ジハードの対象になります。)
もしそうなら、非常にやっかいな話だと思います。
ここで言う「ジハード」には、次のような根本的な特徴があるように思います(イスラム学の知識は付け焼き刃程度なので間違いがあるかもしれません。その場合はご教示を)。
一つは「世界性」があること、二つ目は「非近代的」であることです。
イラクへの侵略に対して、世界のイスラム教徒が、シーア派であろうとスンニ派であろうとジハードの義務があると考えることを世界性(普遍性)と呼びましょう。 この考え方ですと、侵略者がイラクに進駐する限り、「ジハード」は終了しないことになります。
つまり、「終戦(停戦)条件の不明」という恐ろしい問題に突き当たります。
これは、近代国家(近代軍隊)である米英軍が終戦したと思っても、例えばイラク国家政府が無条件降伏したと仮定しても、戦争が実は終わらないということを意味します。
また、このようなジハードが起こったとしたら、それは近代国家の枠組みからは「戦争」ではなく、「犯罪」となります。 たとえイラク国内での「自爆テロ」であったとしても、それは近代国家単位での終戦成立後なら「犯罪」扱いでしょう。
また、イラクが敗戦しても、他国のイスラム教徒にはジハードの義務があるということになると、ますます厄介な話です。
イラク国内教派のファトワが他国の教徒に有効かどうかは私には分かりません。 しかし、かりにファトワがなくとも、イラク国に駐留する米軍は明らかに侵略者ですから、「戦争」の義務があるとイラク外のイスラム教徒は考えるかもしれません。
非近代性とは、上記のように近代国家、近代戦争の枠を越えるのに加えて、非戦闘員と戦闘員との区別の区別が原理的にあいまいな点です。
近代戦争であれば、戦闘員と非戦闘員との峻別が条件のはずです。
そうでなければ、いわゆる「戦争犯罪」の概念が成立しません(戦争自体が犯罪だという立場はまた別です)。
しかし、ジハードは、理屈上は、両者を峻別していないように見えます。
現在の(米国の行動の結果としてかなり死文化していますが)国際法の枠組みは、こういう「非近代的戦争」には対応していないように思われます。
私は、米軍の行動は覇権国家の横暴(侵略)だと考えており、従ってイスラム教徒が応戦することは当然だろうと思っています。
しかし、終戦成立後のジハードが近代の枠組みにおいて犯罪として取り扱われることも避けられないでしょう。
この結果として、イスラム教徒の迫害や白眼視につながり、一層の流血を呼ぶように思えてなりません。
丁寧なレスを頂いたので、とりあえず私見を書いてみました。 正直言って、この問題はパンドラの箱という気がしており、あまり書く気がしないので、ここまでで止めることにします。