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(回答先: ジハードの非近代性よりゲリラ戦の現代性を 投稿者 たこ 日時 2003 年 4 月 03 日 14:17:26)
前のコメントは、(アラブ世界の行動に対して)「非近代」を印象づけかねない内容なので、これを修正する意図ですが、現実に行われつつあるゲリラ戦の合法性(あるいは違法性)についての論証は、これでは足りません。というより、「近代」の戦争法規に基づく論証を回避しております。
「昔の理想は今も変わらない」も真実ですが、「時代(規範意識)は変わった」も争えない事実です。戦争法規の一部は、現在でもよく遵守されています(規範意識に支えられています)。たとえば、在外公館の保護などは、もしこれに反する国があれば、国際社会の激烈な非難を浴びるという意味で、今でも規範意識に支えられています。その一方で、都市に対する爆撃などを「違法」と叫んでも、必ずしも国際社会の大勢から賛同を得られません。規範意識の抵抗を受けずに行われ、かつ、国際社会の大勢がそれを非難しなくなれば、「時代(規範意識)は変わった」と考えざるを得ません。「(ゲリラ戦は)現代では必ずしも違法とは考えられていないと思います」はそのような趣旨です。
また、「爆弾をばらまく」は、相手の違法行為に対する復仇が、往時の戦争法規に照らしても、その論拠となり得るとする示唆ですが、この論証を追及するつもりはありません。米英の「違法」は、ジュネーブ条約何条などという「近代」の戦争法規に違反したことではなく、国連憲章に定める「現代」の武力行使の要件に反したことです。もちろん、「未来」には、「アメリカが常に正当」という新しい国際法の規範が誕生する兆候も見えますが、それを阻止し得るのは、国際世論(国際社会の規範意識)です。
ついでに、マルクスの恋人氏に質問ですが、群民兵の要件らしい指摘ですが、「一人(の指揮官)」はどこからきているのですか?それと、「群民兵」をゲリラ戦を合法化する根拠とするなら、ほかに、「占領されていない地域で」がありませんか?(記憶に頼る話なので不正確です)
いずれにしても、群民兵の要件の要件は厳し過ぎますね。これを適用すれば、占領下のパルチザン運動などはすべて戦争犯罪になります。それを当然視する考え方もあるでしょうが、私は、「現代では許された武力行使」と考えております。