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「たこです」さんの「Re:うむむむ」に対するレスを書いたが、同時的書き込みだったせいか不調で終わり、その尾を引きずっているようなので(二重レスになる)、ケイちゃんの「政府紙幣とデフレ下の需要=供給」( http://www.asyura.com/2002/dispute4/msg/170.html )へのレスを独立のスレッドにしました。
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「政府紙幣」発行に反対ではないと表明しながらああだこうだと言っているのは、“するめいか”さんや“書記長”的に言えば、理念なき政策はロクなことにならないと考えているからです。(政策は武器です)
「経済も発展しうまくやってこれたのだから対米従属でもいいじゃないか」という理念なき国家では、それが危うくなっている現実にも気づかないほど、対米従属を続けていれば安泰なんだという思考停止状態に陥ります。
「政府紙幣」発行も、「それでデフレギャップが解消されるならいいじゃないか」というレベルで実現すれば様々な歪みが現出すると考えています。
>私は経済学をまともに学んだ者ではない。
>それゆえ、正統派経済学がきちんと政府紙幣の使用をオーソライズするべきだと考え
>ている。
>自分の感覚に合わないものは認めない主義を貫き、巷に出まわっている理論を色々と
>検討してみた結果、政府紙幣をおいて現在の日本経済の苦境を脱する方法はないと結
>論したものである。
私も経済学をまともに学んだ者でありませんが、経済学的修練と経済事象の認識力は別物だと考えています。
サムエルソン氏以降の経済学は、皮相的な説明理論もしくは矮小な実利学に堕しており、“異端”的な政府紙幣の使用をオーソライズする営為はごく限られた経済学者になると予測します。(職を辞す覚悟も必要かも知れません)
私の政策は価値観という実体のないものに依存したものですから、実体としての力を持つ政府紙幣の発行が日本経済の苦境を脱するリアルな政策であることを認めております。
政府紙幣の使用をオーソライズする任は、内容ではなく立場的にお互い不適格ですから、正統派経済学者に放任するか、実現を政治力で押し切るしかないと思われます。
>前に言った通り潜在需要というものは常に存在する。これに購買力(つまりお金)が与
>えられると有効需要に変わる。デフレ下において、供給側を刺激するためにはこの有
>効需要が決定的に重要であると力説した。あっしら氏の給与増加も定義の仕方によっ
>ては「供給の増加」に違いないが、これは紛れもなく潜在需要を有効需要にするため
>に必要な購買力を消費者に与える行為でもある。
ケイちゃんの論を敷衍すれば、サプライサイド経済学もデマンドサイド(ケインズ主義)経済学になってしまいます。
供給側が投資を拡大する条件をつくることが経済成長に資するというのがサプライサイド経済学の本旨です。
投資というのは、供給設備・人的活動力・原材料・中間財に向けられるものです。そして、供給設備・原材料・中間財も、辿っていけば人的活動力の活動成果物です。
投資とは、突き詰めれば、人的活動力への通貨投入なのです。(利用されている土地が所有されている状況では、増加する投資が人的活動力に対するものと約めることができます)
定義云々ではなく、給与の増額を投資(供給)の拡大として捉えられない経済学者に、現実の経済事象を捉えることはできないと考えています。
そして、需要とは、供給設備・原材料・中間財から最終消費財さらには用役まで、人的活動の成果物(財)や人的活動(用役)に対するものです。
これが、「供給=需要」と言う所以です。
サプライサイド経済学はデマンドサイド経済学と表裏一体なのです。
サプライサイド経済学は、ケインズ主義のように「供給=需要」の増加を公的債務に依存すべきと主張していないことで高く評価していますが、デマンドサイド経済学でもあるという認識がないところがその限界性の現れです。
消費者が現実の消費者になれるのは、基本的に、家計構成者のなかに供給活動従事者が存在しているからだという視点が重要です。
>つまり、需要テコ入れ策なわけだ。
>それを政府にやらせるのではなく、企業が行え、と言っているのに過ぎない。
>この事象を「数量増を伴わない’供給’増加」と供給面に重きを置いた言い方をする
>よりも、有効需要を作り出すための企業に課せられた義務と需要面に重きを置いた言
>い方をするほうが素直である。「量でなく額のみ」というのは不自然だ。
>これを需要強化策ととらえれば、需要は量的拡大を志向することもあるし、質的拡大
>を志向することもある、と理解することができる。
>そして、このような政策を私企業に強いることはできないから、政府が政府紙幣の発
>行を持って行うべきだというのが私の主張だ。
「言っているのに過ぎない」という判断は、政府が行うか企業が行うかで大きな違いが生じることを軽視したものです。
「政府紙幣」をどのように利用するかが明らかではない状態で論議すべきことではありませんが、政府が需要テコ入れ策を果敢に進めるということは、政府の価値観で需要の内容が決められることです。
統制経済を悪だとは思っていませんが、産業構造が政府の財政支出で変わっていき、成長の芽がある事業が放置されたり、国際競争力を失うことにもなりかねません。
また、ハイパーインフレ問題にしても、企業の給与引き上げであれば採算性という“資本の論理”で歯止めが掛かりますが、返済義務を背負う債務ではなくなった「政府紙幣」の発行に法律でどこまで歯止めが掛かるのか懸念を持っています。
戦後の国債発行無し→建設国債→赤字国債という経過を顧みても、政治の無分別性を指摘することができます。
企業が「供給=需要」を理解することで給与を引き上げる策を採れば、製造拠点を海外に移転させる動きも合理的な範囲で収まります。
微温主義者ですから、緊急避難的に、「供給=需要」を理解することなしで「政府紙幣」を発行することに反対ではありません。
>より多くの利益を上げる事が善であるという経済価値観まで転換する必要はない。
>デフレが止まり十分に利益が出るようになれば、国を挙げての海外生産シフトなどそ
>うそう起こるものではない。
>海外シフトをせざるを得ない産業もあるかも知れないがそれがメインではない。今は
>デフレが昂じて、極めて競争力の高い産業以外は猫も杓子も中国へ向かう勢いになっ
>ている。この異常な動きが止められれば良いのであって、何でもかんでも日本での生
>産にこだわるのは間違いと思われる。
異常な動きが正常な動きと錯誤される価値観状況になる前に、「政府紙幣」の発行が実現することを願っています。
「供給=需要」が理解されたら、貿易収支の黒字はわずかな額でいいと思っています。
「何でもかんでも日本での生産にこだわる」立場ではなく、「デフレ不況」下での日本企業による日本向け最終消費財の海外生産は控えなさいというもので、それぞれの市場向けに現地生産するかたちが望ましいと考えています。
>供給が即、需要と同じになるという事は間違いだという点にこだわりたい。
>まず、(供給)量を増やさずに(供給)額を増やすのだから予期せざる在庫になることは
>ない、という話は眉唾だ。
「供給が即、需要と同じになる」とは主張していません。
輸出という需要を除けば供給が最大の需要になり、使われない貯蓄や金融取引もあることから、通例は、供給>需要になると説明しています。
「予期せざる在庫になることはない、という話は眉唾だ」という指摘ですが、そういう趣旨の内容を書いた記憶はありませんが、「政府紙幣」の発行でも、予期せざる在庫になることはあるでしょう。
受注生産が普遍化しない限り、予期せざる在庫になるという話はつきまといます。
供給量が同じで供給が増加することで需要が増加するのだから、単位当たりの財や用役の価格が上昇したり、予期せざる在庫になる量が減るというのが論旨です。
>前提として経済はデフレ下にあるわけだから、供給量を増やしていないつもりでも
>(供給計画時よりも)需要はさらに小さくなり、売れ残りが発生するリスクは当然出て
>くる。給料が増えてると言っても消費者のマインドが完全に変わっていないなら、消
>費に回る部分がどれだけあるかは自明ではない。
>供給=需要というのは、事後的に見ればそういう恒等式が成り立っている、という事
>に過ぎず、その等式が成り立つまでにはデフレがどんどん進行して生産量の縮小が見
>られることもある点に留意が必要だ。
デフレは、そのような縮小均衡をもたらすのでとんでもない経済的災厄と言えます。
「消費者のマインドが完全に変わっていないなら」という仮定については、所得税減税中心に「中低所得者の公的負担減少」と「高額所得者の公的負担減少」の恒久的措置や年金支給の保証を提起していますので、少しずれていると思われます。
(「供給=需要」の考えた方が受け入れられないのであれば、これらの政策が実現される可能性も低いと思っています)
>「供給が先にありき」に固執するから上のようなヘンテコな話になるのではないか。
>需要(有効需要)に供給を産み出す力があるという見方に転換すれば、もっとスムーズ
>だ。今経済に欠けているのは、需要だ。お金が手元に十分にあれば人々は消費を行う
>(たとえ消費を行わず借金返済に回す人がいても一向に構わない)、これで景気が良く
>なる、これだけのことだ。
「供給が先にありき」に固執しているのではなく、「供給=需要」に固執しています。
他の部分は上述の内容とダブルので省略します。
>無制限に政府紙幣を発行すればハイパーインフレになるのは当然のことである。
>天井は日本の供給余力であり、それを超えて紙幣が増発されれば、紙幣がモノを追い
>かける形でインフレになる。
>ただしデフレギャップは今でも相当大きく、ちょっとやそっとのことでは5%程度の
>インフレは勿論、ハイパーインフレなど置きようもない。失業率が低く、3Kなどと
>いう言葉の流行ったバブル期ですら、インフレではなかった。
「政府紙幣」の発行後すぐにハイパーインフレになるとは考えていません。
貿易収支の黒字が維持できるかどうかが大きな分岐点になると予測しています。
完全失業者及び就業断念者が財の生産ではなく人的活動力に従事するように需要を振り向ける政策を採れば、ハイパーインフレはけっこう抑え込めると思っています。
ハイパーインフレになるかどうかは、結局のところ、日本企業が国内製造拠点をきちんと残すかどうかに掛かっています。
「失業率が低く、3Kなどという言葉の流行ったバブル期ですら、インフレではなかった」という認識は、だからこそバブルが形成されたという認識に置き換えないと、「政府紙幣」の発行で再びバブル形成とバブル崩壊を経験することになりますよ。
>ただ、政治家らが規律なく政府紙幣に頼る危険性は当然あるので、予め許容インフレ
>率などを立法化しておく必要があるだろう。
このような歯止め策は必要ですが、ご提示の内容は実効性が乏しい歯止め策です。
もっと景気を良くしろ、もっと地価を上げろ、もっと株価を上げろという声が聞こえてくるのは幻覚でしょうか。
公的債務の履行や新規赤字財政支出(30兆円範囲)の充当のみに限るほうが望ましい結果が得られると考えています。
>政府紙幣の活用など、どこの国にでもできることではない。過去に供給余力を蓄積し
>た日本ならではの政策である。
その通りです。
>あくまでも政府紙幣は治療薬であるという認識を忘れず、経済が回復している間に必
>要な改革を進めることが肝要だろう。
喉元過ぎれば何とやらで、改革は棚上げされて、「政府紙幣」の発行に依存することになるのではと危惧します。
>使途は最も効果的と思われることを皆で議論しながら決めてゆけば良い。私もハコモ
>ノ偏重は避けた方が良いと考える。
これも価値観の転換が求められるものです。
「ハコモノ偏重」は避けられるとは期待していますが...