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(回答先: 誤読の謝罪と政府紙幣 投稿者 ケイちゃん 日時 2002 年 11 月 15 日 06:55:43)
レスありがとうございます。
「供給=需要」についてはわかりにくい説明でご迷惑をおかけしました。
ついでに、「利潤なき経済社会」と利潤追求の関係について補足の説明をします。
利潤の負の側面を取り上げすぎた嫌いもありますので、光の部分も少し説明します。
>経済をうまく回すのに資本主義の根本である利潤追求まで否定する必要があるか、ま
>た、否定してうまくゆくのかは疑問である。
利潤追求を、「利潤」は創造されると考えながら追求するのと、「利潤」は創造されない需要として通貨の奪い合い(「通貨の移転」)だと考えながら追求するのとでは異なる経済社会になります。
私が「利潤なき経済社会」という概念をことさら持ち出すのは、「利潤」は創造されるものではなく「通貨の移転」でしかないという認識を持って経済活動を行わなければとんでもない災厄が生じるからです。
グローバル化は、「利潤」が「通貨の移転」でしかないことを国民経済に自覚させる流れでもあります。
「利潤」は「通貨の移転」であるという認識のもとで利潤を追求することにそれほど反対ではありません。
使い方によっては、生産性の上昇や業構造の変化を促し、より“豊かな社会”をもたらすことになります。
利潤は、コストを上回る売上の実現、すなわち、個別経済主体の供給<需要です。
「利潤なき経済社会」では、個別経済主体の供給<需要がストレートに別の個別経済主体の供給>需要に結びつきます。
供給>需要に陥った経済主体が“撤退”したくなければ、最低でも供給=需要になるように生産性を向上する必要があります。
長期レンジで需要がなくなった財を供給していた経済主体は、否応なく撤退することになります。
供給<需要を勝ち取った経済主体は、利潤を消費するなり、供給の量的拡大や新規事業に投資すれば何ら問題はありません。
要は、使われない利潤や使われない貯蓄が問題なのです。
そして、使われない利潤や使われない貯蓄の存在が経済災厄をもたらすという認識がきちんと行われていないことが問題なのです。
日本で言えば、高度成長期というほとんどの経済主体が利潤を獲得できるという歴史段階を経験したことで、「利潤」が「通貨の移転」であるという根源的論理を考慮だにしていないことが現在の「デフレ不況」の元凶です。
「政府紙幣」を発行するにしても、「供給=需要」や「利潤=通貨移転」という根源的論理を認めないままであれば落とし穴にはまることになります。