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(回答先: Re: 大胆に、さらに大胆に 投稿者 ビルダーバーグ 日時 2002 年 9 月 27 日 15:31:14)
興味深い論考ですね。 思いつくままにコメントしたいと思います。
>戦前、あれだけ反米気運を煽った日本が、戦後、マルクス主義の影響を受けた人々を除いて、親米一色に豹変し、文化的にも、アメリカンカルチャーに席巻されたのは、やはり、米国の軍事力と2発の原爆の怖さが、日本人の心の底に強く刷り込まれたせいだ」という意見があります
この議論は賛同しかねます。早い話が、「戦前・戦中の統治システムと今の統治システムのどちらが良いですか」と問えば大半の日本国民は後者を選ぶでしょう(後者に問題がないという意味ではないが)。これは原爆効果によるディターランスとは直接は関係のない話です。何度かこのサイトで言及しましたが、イスラム政体にしろ独裁政にしろ一度デモクラシーの波に洗われるべきだと私自身は考えています。その上で選び取られるのが現体制と同じなら、それはそれで良い事です。その後、我が国のように擬似独裁が必要になる段階はまた別の議論ですが。
ただ、米国統治者の「我が国の政治的、経済的価値観はあらゆる国家に定着するはずだ」という揺るぎ無い信念は確かに存在するでしょう。自由経済システムは第三世界にそのまま適用しても成功しない、貧富の差も増大する、経済社会の変動幅を大きくする、など幾つかの批判は存在しますが、かつての共産主義のようなガップリよつに組める理論は存在しません。フランシス・フクヤマが歴史の終わりと称した所以です。
>同様に、実体のない、一種のバーチャルカードであっても「チャイナカード」等を(あるように)見せるのも、バーゲニングパワーです。
外交力における日米の差は軍事力のそれと同じくらい絶望的な開きがあります。従って米国をてだまに取るような技芸は望むべくもありません。私はこのような現状が日本の外交力全般のボトム・アップによって解消するとは思っていません。貴殿も仰る通り官僚主導の外交では限界があるためです。ブレイク・スルーあるとすれば、日本にビスマルククラスの天才が現れる場合です。その場合は、軍事も含めて日本はドラスティックに変わっていく可能性があります。しかし、ビスマルクほどの指導者が世界史に何人いたか考えて見る必要があります。少なくとも日本の外交史にはあれほどの偉大な指導者は一人も存在しませんでした。
>官僚さんはどうしても「これまでうまくいって赫々たる成果をあげてきた路線をなぜ、変更する必要があるのか」という発想から脱皮できません。この主張にも「一片の真実」はありますが、既成秩序(アンシャン・レジーム)の耐用年数が来た時には、ダメです。経済・財政では、この問題が解決できずに、10年以上、苦しんでいるのですが、国際戦略・外交も「スキームのきしみ、フリクション」ははっきりと生じているわけです。もう米国礼賛では行けません。これは反米主義とは違います。
過去米国に逆らってヒドイ目にあった、その後彼らと仲良くやったらうまく行った、その延長線上に私の議論が成立していること自体は否定しません。その通りです。ただ、米国中心主義がより鮮明となった今のスキームがきしみを発しているという認識は正しいでしょうか。私には、冷戦後茫洋として見えにくかった覇権のあり方がいよいよはっきりしてきた、このシステムは強化されることはあっても弱体化されることはない、というのが現実だと見えるのですが。ドイツもフランスも、そしてロシアも中国も不本意ながらもブッシュ・ドクトリンを是認してくると思います。あくまでも反対した国家は米国とそれに賛同を示した諸国家群から成る意志決定の枠組からはじき出されるからです。これが今、物凄いオブセッションとなって各国指導者の胸に迫っているはずです(我が国の首脳は米国と張り合う気など元々ないから楽ですが)。