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(回答先: 冷戦後の世界秩序についての認識 投稿者 匿名希望 日時 2002 年 9 月 28 日 07:17:46)
「匿名希望」氏の教科書的明解さには日ごろ敬服しながら拝読しているが、さて、今回のやりとりを読んで感じたことがある。氏の現実認識は則を超えない常識性を守っていて相変わらずの説得力があり、それはそれとしてよいのだが、あえて不満を言えば、何かより大きな視点が看過されているように思うのである。これは他の論者にも言えることだが、どうも思考が国家対国家という対立軸に偏り過ぎている気がする。捉え難い対象ではあるが、民衆という存在を忘れていないだろうか。民衆の動向が国家という単位を超える要素は十分にある。国家対民衆という軸も、国家対国家のパワーゲームの展開と関連して重要な問題なのではあるまいか。国家の政策が必ずしも国民の総意とは言えないのは自明だが、最近ことに国家と国民の間のギャップが広がっているように思う。たとえば英国では、議会での論戦やメディアの論調から、対イラク戦をめぐって両者のギャップが顕著になりつつある。28日の米ABCテレビでは、ブッシュ大統領の共和党のための資金集め旅行をレポートしていたが、各都市での演説会でブッシュ氏がイラク攻撃の必要性を語れば語るほど、「党の金集めとイラク戦争とどんな関係があるのか」という聴衆の疑問や反発を招いていた。さらにワシントンでは、IMFや世界銀行に対する反グローバリズムの大規模なデモが発生し、28日だけで約600人が逮捕された。BS1などのテレビで海外ニュースを見ると、連日どこかの国で様々な理由で反政府デモが起こっているのが分かる。“札付き”のフランスはもっとも盛んであるが、英国、ドイツ、イタリア、エジプト、マレーシア、――日本では、拉致事件被害者のデモ程度で、至極平穏だが。
米英両国が、いわゆるブッシュ・ドクトリンを敢行し、その攻撃性を深めて行けば、当然その恩恵から外れた民衆の反発は増大する。成り行き次第で、単なるデモ騒ぎに終わらなくなるだろう。「コーナーズ・ビースト」という言葉がある。片隅に追い込まれた獣は何をするか分からない。だから追い込んではいけないという意味だ。民衆のエネルギーは侮れない。アラブの急進的グループを始め、世界の環境団体やNGOが、各国に分散するアルカーイダなどのテロ組織に密かに同調する可能性もある。支援グループも活動するだろう。各国で大混乱が巻き起こる。国家の抑止力には限界がある。世界中の人民を、スターリンのように鉄の規律で縛るなんて不可能だ。一番危ないのはアメリカだろう。何しろアメリカ国民はみな銃を持っている。(かつてアメリカで日本人留学生が銃殺されて以来、“銃社会”を非難する日本人が多いが、軽薄な考え方だと思う。アメリカにおける銃所持は、悪政に対していざとなったら一斉に銃口を権力機構に向けるという、民主主義の最後の砦であり、優れて価値のあるものである。「長いものに巻かれろ」で政治にろくに口を出さず、暴力団と右翼だけが拳銃を持っている日本と、どちらがより健全な社会か考えてみたらよい)
昨年ジェノヴァにおける環境サミットで、反グローバリズムを掲げるNGOなどの団体がデモを行い、警官隊との衝突で死者が出たが、バリケードで行進を阻まれたデモ隊の中から、期せずして「インターナショナル」の歌声が湧き上がったのが印象的だった。一時代前の歌が妙に新鮮に響いた。
国家対国家の息詰る思考ゲームに耽るか、インターナショナル対グローバリズムの壮大な夢に浸るか。Which is which?