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(回答先: Re: 昔、犬が自分の尻尾を追い掛け回すのを見た。 投稿者 日 日時 2007 年 10 月 27 日 23:47:41)
「定義」とは、辞書によれば、「ある概念内容・語義や処理手続をはっきりと定めること」となっている。
では「言葉を定義する目的は?」となった場合に、まあ、それは状況により色々と出てくるだろうね。他者との思念の共有を目的とすること以外にも、自分の記憶の整理とか、自分への問いかけとか。また、そもそも無目的に言葉を定義することもあるのではないだろうか。
少なくとも俺の場合は、日さんの投稿に対するただの反応だ。言葉の定義をしたとしても、それで特に何かの結論や結果を導きだそうとはしていない。別に日さんに俺の言葉を理解してもらおうとも思ってはいないし、思念の共有化も狙ってはいないし、定義をすることすらそれに拘っているわけでもない。
それはただの反応であって、反応しようとすらも思ってはいない。それは呼吸しようとして呼吸しているわけではないように。
そして議論もそう。そこに何らかの結論を導き出そうとすれば、期待が生まれる。それは議論に勝ち負けを期待するようなものだ。期待は自由からは遠ざかり拘束を生み出し、そして苦悩を生み出す。それはただそれだけのことだけどね。
もちろん俺の人間性はそんなに崇高ではない。期待もするし欲求もする。そして俺がなぜ日さんの投稿に反応し、そして言葉を定義するのかということについては根本的な動機がある。それは簡単に言えば暇つぶしだ。退屈からの逃避行動だ。掲示板を見ているだけでは物足りず、参加までしてしまうほどの逃避活動だ。
言葉の定義などどうでもいい。ただ退屈という苦痛をなんとかしたいという自動化された欲求が、たまたま日さんの文章を見出し、そして言葉を定義するという行動に出ただけ。それが仮に思う通りに言葉の定義が出来なければ、違う退屈からの逃避行動を作り出して、ただするだけ。
ただそれだけ。
退路を断った議論というのは、退路を断つことによって自分の中でそれ自身が所属する並行宇宙への執着を断ち切る覚悟を要求することだろう。しかしそれは要求するという行為がその並行宇宙に対する新たな執着をただ生み出すだけに過ぎないことだろう。それは自分に求めるものでもましてや相手に求めるものでもない。ただそれが自然と起こる時のみ執着は断ち切られることなのかもしれない。いや執着が既に断ち切られているからこそ、それが自然と起こり得るのだろう。
ただそれだけ。
>真理は導き出せない。これはひとつの真理です。
「真理は導き出せない」というのでは、その裏には真理が導き出せるというのが相対的に隠れているんじゃないかな。真理とは、導き出せるとか導き出せないとかの対象にあるのではなく、そしてさらに導き出すことも導き出せないこともその全てを内に含んでいるものと言えるだろう。それが客観的というものだと俺は考えているからだ。客観的とは全ての主観を含んでおり、ゆえに全ての主観からは完全に独立している。
だから、真理という答えは既に出ているのではなく、それは決して答えになり得ないものであり、さらに真理の中に答えが内在しているのだと考えられる。
見られるものは真理ではあり得ない。「過去・現在・未来」が見られたとき、それは真理では決してあり得ない。鏡に映った自分を見て、それが自分だと錯覚するようなものだ。それは似て非なるもの。ただ退屈しのぎにはもってこいの洗練されたオモチャにはなり得るだろうね。
ただそれだけ。
>言語考古学を始めよう。そしてその根源の一字へと到達した男がいた。
で、その根源の一字が「日」なんでしょ?
まあ、そんなことは俺にとってはどうでもいい。文字を生み出したものもいれば、詩や絵画を生み出したものもいる。そもそもそれらを使用する人間すら生み出したものもいるだろう。記憶も、思考も、観念も、知覚も、感覚も、感性も、そしてその対象も、ありとあらゆるもの全ては、それを生み出したものがいるだろう。
人間が遺伝子操作して新たな食物を生み出すオママゴトをしているように、人間をはじめ全ては、過去の歴史の中で生み出されてきたのだろう。
ただ、それだけのこと。
ましてや何も言語だけに拘る必要性は無いだろう。言語以上に人間存在そのものの方が不思議ではないのかな?
だから言語考古学よりも人類考古学の方がより人気があるのだろう。そしてその人類の根源となる一人のアフリカ人女性へと到達した男がいた。それは人気があるからニュースにもなった。
ただそれだけ。
ただそれだけ。
ただそれだけ。
ただそれだけ。
ただそれだけ。
ただそれだけ。
ただそれだけ。
ただそれだけ。
ただそれだけ。
ただそれだけ。
ただそれだけ。
ただそれだけ。
ただそれだけ。
ただそれだけ。